29 安保刑事特別法と問題の「合意事項」
『外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資料』も、『外国軍隊に対する刑事裁判権関係通達・質疑回答・資料集』も、『合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権関係実務資料』と同じように、法務省刑事局作成・発行の「検察資料」のシリーズに含まれている。古書市場で入手できる場合もあり、一部の大学図書館も研究のために所蔵している。
『外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資料』の冒頭の「はしがき」には、こう書かれている。
「本資料は、外国軍隊に対する刑事裁判権についての資料及び解説を取りまとめたものである。なお右の解説は、日米行政協定の改正並びに国連軍協定の締結に関与した法務省刑事局の津田総務課長と古川局付検事が協力して執筆したものである」
津田総務課長とは、1953(昭和28)年に日米両政府が日米行政協定の改定交渉をした際、日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会の日本側代表を務めた津田實(当時、法務省刑事局総務課長)である。また、古川局付検事とは、当時の法務省刑事局局付検事、古川健次郎である。
津田は日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会の日本側代表として、問題の「合意事項」を米軍側と協議して取り決めた担当者でもある。
「合意事項」の第1項~第36項が1953年10月22日、第37項~第43項が同年10月28日、第44項~第49項が同年11月27日に、日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会で合意された。
1953年10月28日といえば、「日本にとっていちじるしく重要と考えられる事件以外については、第1次裁判権を行使するつもりがない」という、米兵犯罪裁判権の事実上の放棄密約が、日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会で合意された日である。この密約は津田が声明した内容を非公開議事録として残したものである。
「合意事項」と、「合意事項」には記されていない非公開議事録による密約とは、ちょうど同じ時期に同じ場で日米間で協議されて合意されたのである。
一方、安保刑事特別法が施行されたのは1952年5月7日である。日米地位協定の前身である日米行政協定が締結されたのが、同年2月28日だから、その2ヵ月あまり後である。施行当初の安保刑事特別法第11条は以下の通りだった。
「検察官又は司法警察員は、合衆国軍隊の使用する施設又は区域外で逮捕された者が合衆国軍隊の構成員、軍属又は家族であることを確認したときは、刑事訴訟法(昭和23年法律第131 号)の規定にかかわらず、直ちに被疑者を合衆国軍隊に引き渡さなければならない。
司法警察員は前項の規定により被疑者を合衆国軍隊に引き渡した場合においても、必要な捜査を行い、すみやかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない」
当時、まだ日米行政協定第17条は、米軍人・軍属・それらの家族(日本国籍のみは除き)が日本国内で犯すすべての罪について米軍側が専属的裁判権を行使する、と定めていた。だから、身分証明書などで米軍人や軍属、それらの家族だと確認できれば、身柄を米軍側に引き渡していたのである。
つづく(文中敬称略)
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