30 骨抜きにされた安保刑事特別法第11条
しかし、1953年9月29日に「行政協定第17条を改定する議定書」が日米間で結ばれた。その結果、協定第17条第3項(a) に掲げる、1.もっぱら米国の財産もしくは安全のみに対する罪、またはもっぱら米軍人・軍属・それらの家族の身体もしくは財産のみに対する罪、2.米軍人・軍属の公務執行中の作為または不作為から生ずる罪は、米軍側に第1次裁判権があるが、それ以外の犯罪については日本側に第1次裁判権があると定められた。
その行政協定第17条の改定に伴い、安保刑事特別法第11条も1953年11月12日に改正されて現行の規定に変わったのである。それは以下の通りだ。
「検察官又は司法警察員は、逮捕された者が合衆国軍隊の構成員又は軍属であり、且つ、その者の犯した罪が協定第17条第3項(a) に掲げる罪のいずれかに該当すると明らかに認めたときは、刑事訴訟法(昭和23年法律第131 号)の規定にかかわらず、直ちに被疑者を合衆国軍隊に引き渡さなければならない。
司法警察員は前項の規定により被疑者を合衆国軍隊に引き渡した場合においても、必要な捜査を行い、すみやかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない」
つまり安保刑事特別法第11条の改正は、日米行政協定の改定で得た日本側の第1次裁判権行使の権利を、実際に運用するうえで確かなものにするための措置だった。
そのために、米軍人・軍属の公務執行中の作為または不作為から生ずる罪の処理を曖昧にしないための規定が設けられた。その者の犯した罪が公務執行中におこなわれたと明らかに認められたときにだけ、身柄を米軍側に引き渡すという厳密な規定がそれである。
ところが日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会では、「合意事項」第9項(a) の「当該犯罪が公務の執行中に行われたものであるか否かが疑問であるとき」、すなわち公務執行中だったのかどうかはっきりせず、未だ明らかに認められないときでも、被疑者の身柄を引き渡す、という曖昧な事件処理が可能な、米軍側に大幅に有利な合意を取り決めていたのである。
ここであらためて、安保刑事特別法第11条が改正された1953年11月12日という日付と、「合意事項」第9項(a) が合意された1953年10月22日という日付に注目してみたい。どちらも「行政協定第17条を改定する議定書」が日米間で結ばれた1953年9月29日に続く時期である。
つまり、日米行政協定第17条の改定を受けて、一方では安保刑事特別法第11条の改正に向けた動きがあり、他方ではその第11条の改正と矛盾する「合意事項」第9項(a) の合意に向けた動きがあった。
「合意事項」は全文が公表されない秘密合意であり、秘密文書である。従って、「合意事項」第9項(a) の合意に向けた動きは、主権者である国民の目の届かない日米合同委員会の密室で進められたものだ。いわば水面下の、裏側の動きであった。
つまり、国内法として公表される安保刑事特別法第11条を、公表されない秘密の「合意事項」第9項(a) によって骨抜きにしたのだともいえる。
表向きは安保刑事特別法に従って処理されるように見せて、裏では日米両当局の「内部的な運用準則」と称する秘密の「合意事項」に従って処理する仕組みを作ったのである。
つづく(文中敬称略)
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