亜鉛工場のコークス偵察兵
わが家から40分ほど歩いた所に、とても大きな亜鉛製錬工場があった。この工場は私にとって格好の標的であった。私は初めてここで盗みを覚えたのだ。
泥棒の初日と2日目は、工場の保衛部員に見つかって、ひどくぶたれ、着ていた服もすべて取り上げられてしまった。しかしそれでも私はあきらめなかった。
3日目にはようやく盗んだ亜鉛を売っ払って、500ウォン(※白米1キロが50 ~ 80ウォンほどするという)かせいで帰った。
工場の一階を「ドン底」と呼んでいたが、「ドン底」はまるで星の光も届かない暗黒の世界のようだった。まっ暗であったが、そこまで入りこむのは平気だった。それより二階に上がるパイプを通過するのが大変であった。
そのパイプにはいつも硫酸水が流れていた。それだけではなかった。盗みをはたらく子どもたちを監視する保衛隊、武装保衛隊、安全部の巡察、職場の巡察、職場の警備員たちが、二重、三重、四重に見張っていたからだ。
星の光さえも届かない暗闇の工場の中。
パイプにぶつかって頭から血を流したこともあった。足を踏み外し、硫酸タンクに落っこちたりもした。硫酸水にはまると、早くきれいな水で流し落とさなければ、体中がかゆくなり、がまんできなくなる。
古い工場なので、硫酸水はあちこちからチョロチョロ漏れていた。子どもたちは硫酸水が流れているパイプを「ドブ」と言った。子どもたちは「ドブ」をつかんでうまく工場の中を駆け回った。
ある日、監視の政治大学の学生たちに見つかり、ひどくぶたれたことを思い出す。12歳の末っ子は頭から血が噴き出すほど殴られて、うわごとを口走った。
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