大村一朗のテヘランつぶやき日記 ・アーシュラーの騒乱1 2009/12/27
アーシュラー当日、今日も海外メディアによる抗議デモの取材は一切禁止されている。僕は午前10時に家を出て、テヘラン市街の西外れにあるアーザーディー広場でバスに乗った。このバスは、デモが予定されている、テヘランを東西に貫くアーザーディー通りとエンゲラーブ通りを一直線に進み、市街の東外れまで走ってくれる。バスの車窓から町の様子を見て、状況次第でバスを降りてみようと考えていた。
休日で本数が少ないため、バスの中は身動きが出来ないほど混んでいる。4キロほど走り、ナヴァーブ通りの交差点に近づいたところで、早速、治安部隊と群衆が衝突していた。バスの中の若者らは「ヤーホセイン!ミールホセイン!」と外の群衆に声を合わせ、しまいには運転手にバスを停めさせ、衝突に加わるため我先にとバスを降りていった。催涙ガスが放たれているのか、人々が顔を覆いながら歩道を逃げ惑っている。
「歴史は繰り返す、か……」
背後に立っていた初老の紳士がつぶやいた。31年前のイスラム革命と、この光景が重なって見えるのだろう。
歩道で一人の男が群衆に取り押さえられ、殴られたり蹴られたりしている。
「スパイだな……」
隣の男が誰に言うでもなく言う。いわゆる「私服」が、どういう理由からか素性がばれて群衆に捕まったらしい。男は必死の表情で釈明と哀願をしていたが、それでも裏通りへ引きずり込まれそうになり、すんでのところで周囲の手を振り払って逃げ去った。改革派のデモ参加者は、もはや理性の集団などでは決してない。そういった段階は当の昔に過ぎ去った。今はもう、彼らもまた、敵を叩きのめしたい衝動に駆られているのだ。
この衝突にバスの運転手は恐れをなしたのか、バスはエンゲラーブ広場まで1キロほどを残したこの地点で突然左折してしまった。そして500メートルほど南に下ると、平行するジャムフリー通りを進んだ。その後は、いたるところで例年通りのアーシュラーの行進や、テント小屋付近で食事や飲み物をふるまう人々の姿が見られた。
バスが再びエンゲラーブ通りに戻ったのは、昨日も激しい衝突があったという、テヘラン市街東部のイマームホセイン広場だった。
直径100メートルはあるロータリー式のこの広場は、車両と人で埋め尽くされ、バスが何台も立ち往生していた。広場の斜向かいでは治安部隊とデモ隊の衝突が起り、催涙ガスが打ち上げられ、広場のこちら側では、小さな子供も参加する通常の追悼行事が粛々と行なわれていた。
そのとき、信じられない光景が目に入った。一台前のバスに治安部隊が乗り込み、女の乗客一人を警棒で殴りつけ、バスから引きずり降ろしていた。その女が何をしたのか分からない。携帯で写真を撮ろうとしたのか、改革派のスローガンを叫んだのか、定かではない。
「何も叫ぶんじゃないわよ!」
同じようにその光景を見ていた車内のおばさんが、僕ら男の乗客に向かって声を押し殺すようにそう釘を刺した。
バスはゆっくりと治安部隊の前に進み、僕は帽子を深く被りなおした。バスの扉が開いた。乗り込んできたのは一組の親子連れで、治安部隊ではなかった。怖くて、バスの外を見ることも出来なかった。(つづく)