すると追いかけてきたやつらは、割れたレンガを長男めがけて投げつけたのだ。
そのレンガはちょうど脳天に当たってしまい、血が噴き出して顔と背中と服が血だらけになった。
その日、妻は泣きに泣いた。長男はそれ以降、よく頭が痛いと言うようになった。
また別の日には、末っ子が政治大学の学生たち(その工場の保安のために2ヶ月間派遣されていた)に殴られ、辛い思いをしたことがあった。その時末っ子は、足をもつれさせ、顔には真っ青なあざを作り、頭が割れたまま家に帰ってきた。
その時現場にいた子どもたちによれば、20歳にも満たない政治大学の学生たちが、末っ子を足で蹴り倒し、また持ち上げ床に投げつけたというのだ。末っ子が気絶して起き上がることができずにいると、引きずって行って水たまりで顔を洗わせて、家に返したというのである。末っ子もそれ以来、しょっちゅう頭が痛いと言うようになった。「攻撃」に出向く子どもたちは、皆同じような仕打ちを受けているはずだ。
別の子どもたちのことだが、真っ暗で何も見えない夜中の工場を急いで走っていて、硫酸水の桶にはまったり、電気配線にふれて感電することも多かったという。それが交流電流ではなく直流電流であったのが幸いだった。
懸命に勉強をしなくてはいけない年頃に、ぼろをまとって、「生活戦線」に出向く北朝鮮の子どもたち。
あちらこちらで子どもたちがひどく殴られ、血だらけになっても、親が抗議ひとつできない社会。
私は、自分の幼い子どもたちだけでも守ってやらなければいけないと考えた。
そして家庭を守ることが家長としての、私の役目ではないかと思った。
生きのびる方法は北朝鮮脱出のみだ。北朝鮮脱出! それだけが、私と私の子どもたち、そして家庭を守る唯一の道だと信じたのである。
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