大村一朗のテヘランつぶやき日記 ・新聞セタレ・ソブフより~事態を見守る保守派議員たち(2) 2010/01/22
翌週の改革派系週刊新聞セタレ・ソブフの第一面には、改革派の指導者ミールホセイン・ムーサヴィーの17度目の声明に対する保守派国会議員の反応が掲載された。
今回出されたムーサヴィーの声明には、政治犯の釈放や、発禁処分を受けた新聞の再発刊許可といったこれまでと同様の要請とともに、「政府は国民、国会、司法機関に対して負うべき責任を表明せよ」という、これまでの声明には見られなかった要請が盛り込まれた。
この一文は、ムーサヴィーが選挙後、アフマディネジャード政権を初めて公式に認めたものと各方面から受け取られ、ムーサヴィー側が大きく一歩譲歩したとして物議を呼んだ。
今週のセタレ・ソブフで、この第17声明をどのように評価するか、との問いが、保守派議員に投げかけられている。以下、議員たちの回答を要約してみた。
モハンマドホセイン・ファルハンギー
選挙の結果に対する賛成者も反対者もどちらも体制の枠内の者たちだった。一部は次第に選挙の結果に納得し、別のグループは納得しないままだったかもしれないが、彼らを反体制と呼ぶべきではない。その後、体制そのものに反対する者たちが選挙後の出来事に加わるようになったが、彼らは選挙結果に反対しているグループとはそれほどのつながりはない。
体制に反対する者たちは、革命当初からこの国におり、体制を決める国民投票では2パーセント以下だった。彼らの数は次第に様々な出来事とともに変化したが、 それでも国民の少数派だ。彼らは体制に反対する機会ありと感じるたびにそこに現れ、選挙後の出来事がそれである。彼らは合法的な抗議者が引き下がった今も、唯一抵抗を続けている。
ムーサヴィーの最近の声明は、彼がこれまでの道の誤りを認めたことを示すものだが、彼のアプローチは非常に鈍く、このため彼は体制反対者たちからも抗議を受け、同じ程度に保守派からも、彼の元来の立場同様、受け入れられていない。ムーサヴィーは、様々な理由からイランの政治体制を受け入れない反対者や敵たちと袂を分かつことを、はっきりと表明しなくてはならない。
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