言葉の通じない村人と私の、お互いのニヤニヤとするだけの初対面は、長続きしない。無言のまま、顔を見合わせ、中途半端な間合いが続いていた。そんな雰囲気を変えようとしたのか、誰かがテレビのスイッチを入れた。もちろん、ビルマの最大都市ヤンゴンから200km離れたこの地では、電波なんて届かない。テレビは放送番組ではなく、ビデオやDVD、カラオケなどの映像付きCDが活躍しているのだ。
テレビ画面の映像が動き出し、音楽が流れ始めると、村人の関心は私からテレビに移り、動く画面に黙って見入っている。
その時だったのだ。ビルマ語やカチン語のCDカラオケが、チベット語のカラオケに切り替わったとたん、大人たちは画面に見入るため前のめりになり、息をのむ。子どもたちはフフフンと鼻を鳴らし口ずさんだのだ。ヒュールル・ルー、ヒュウ、ヒュールル・ルー、と。
2007年1月末、ビルマ(ミャンマー)北部カチン州の山中を18日間歩き続け、私はようやくビルマ最北の村タフンダンに入った。カチン州の山に入ってからは、思いがけない出来事の連続であった。
ビルマで1月といえば乾季の真っ直中のはず。それなのに、ほぼ毎日、雨に打たれる羽目になった。平地のビルマと北部州の山間地ビルマは、気候がまったく異なる。
また、驚いたことに、常時ではないが、この最北の地域では、村によっては電気が点灯しているのだ。なんと、北の「辺境」には電気があるのだ。あのヤンゴンでさえ、停電に悩まされているのに、だ。
さらに、仏教国ビルマにあって、北ビルマのカチン州の多くの村はキリスト教を信奉している。だが、ここ最後にたどり着いたビルマ最北の地タフンダン村は、そのビルマ仏教でもキリスト教でもなく、チベット密教の村であった。だが、全員がチベット人であるこの村を見下ろす丘の上には、ビルマ式の黄金のパゴダ(仏塔)が眩いばかりに輝いている。
次のページへ ...