【ビルマはどこに行っても、子どもと女性の多くが水汲みの仕事を担う】
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知られざる民族を訪ねて
もともと、今回のカチン州の山行きは、絶滅寸前という北ビルマに住むタロン民族に会うのがその最大の目的だった。そのタロン民族という存在を初めて知ったのは2002年末頃のこと。ヤンゴンで知り合いのビルマ人観光ガイドから教えてもらった情報だった。

カチン州の北部に絶滅寸前の民族がいる。噂では6、7人の1家族しか残っていないはず。その数人がいなくなると、1つの民族が絶滅してしまうのだ、と。しかもそのタロンという民族は、東南アジアでも珍しい、極めて背の低いピグミーのような民族だということだ。

軍政下で、情報統制が厳しく、色々な噂が飛び交うビルマ社会での話だ。それもまた、作り話の一つかもしれない。そう思って、あまり本気にしていなかった。それに、カチン州の最北の地へ、どうやって単独取材を計画したらいいのだ。ここは、タンシュエという独裁者が恐怖政治を敷く、軍事政権国家ビルマなのだ。

【北ビルマ衛星地図(グーグルマップより)。Putao(プータオ)を歩いて出発してTahandam(Tahawndam,Dahondam)タフンダン村まで往復34日間(約450~500キロメートル)かかる。黄線は、中国/インド国境、黄ピンは、旅程を示す】
【北ビルマ衛星地図(グーグルマップより)。Putao(プータオ)を歩いて出発してTahandam(Tahawndam,Dahondam)タフンダン村まで往復34日間(約450~500キロメートル)かかる。黄線は、中国/インド国境、黄ピンは、旅程を示す】

その後、どうやらタロン民族は実在するということが分かってきた。そして、いつものように、好奇心が膨らんできた。もし可能なら、一度、会ってみたい、と。

すると、ビルマの中でいろいろと問い合わせをしていくうちに、思いがけず、不可能だと思っていた計画が実現することになった。やはり、現場に足を運び、自分の目で確かめなければならない、という強い思いは通じたようだ。とんとんと話が進んで、道中の食糧や生活物資を運ぶポーター7人とガイド1人を手配し、往復計36日間の山歩きの旅に出ることになった。

apnmanow
1月の半ば、ビルマ・カチン州の州都プータオでカチン人(ジンポー人)の祭典マノウが開かれる。このお祭りには中国に住むジンポー人もはるばる陸路を車に乗ってやって来る

 

後日分かったことだが、この「珍しい」タロン民族への調査は既に1962年、ビルマ医学研究所が母体となって、大々的に行われていた。1962年と言えば、現在のビルマ軍事政権の基盤を作り上げた、初代独裁者ネウィン将軍がクーデターを起こした年でもある。ヤンゴン(ラングーン)を中心に、政治的に大混乱していたあの時代に、よくもまあ調査隊を出せたものだ。

また、タロンの人たちが住むクラウン村には2003年、中国のドゥロン族(タロンと同系統)を研究している米国の文化人類学者が訪れていた。同じ年には、ラングーン大学の文化人類学者がタロンの「研究」のためにクラウン村に入っている。さらにその後、タイや日本のテレビ局がこのタロン民族を番組で取り上げていた。タロンの人たちは、やはりその物珍しさから取材や研究の対象になってきていたようだ。

1つの民族が消滅するかも知れない。その歴史的・文化人類学的な意味の重要性は分からない。だが、そういう人びとに同時代者として会うことが出来るかも知れない。私も、彼らの最後を見届けたいという、一方的で単純な好奇心から、タロンの人に会いたいと想いを強くしていた。

出発前に調べてみると、どうやらタロン民族の住むクラウン村は、ビルマ最北の村までおよそ7kmの村に位置するということだった。じゃあ、ついでだ。クラウン村から最北タフンダン村まで行ってみようということになったのだ。
つづく
(連載第2回より、会員記事となります。)
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