ぼくは指導員の後について責任指導員室に入った。ところが、急に目の前がまっ暗になり、星がぐるぐると回り始め、何も考えられなくなった。気を失ったのである。
しばらくして目がさめると、前に閉じ込められていた部屋であった。殴られすぎて、体中が傷だらけになっていた。人間ではないようだった。それでも、ぼくはまた逃げることを考えていた。
脱出だけが生き残る方法だ、と考えたからである。
もし、また逃げてつかまれば、死ぬかもしれない。それでも脱出だ! ここでこのまま死ぬわけにはいかない。豆満江を渡って銃で撃たれて死んでもいい。あれこれ考えていると、夜の間に血をしこたま吸った南京虫どもが、のそのそと天井にはい上がっていく姿が見えた。
今度は必ず脱出に成功してやると信じ、夜中の12時頃、ドアをこっそり開けて、廊下を抜け出し、建物の出入口まで行った。出入口から覗くと、そこにも警備員が横になって寝ていた。それでもぼくはありったけの力で出入り口の扉を開け、思いきり駆け出した。何も考えずにとにかく走り続けた。
ようやくぼくは親戚のおばさんの家に到着した。
おばさんはとても驚いた様子でどうしたのかと聞いた。ぼくは事情を話し、その日はおばさんの家で休んだ。
次の日、ぼくは中国から商売をしに来たおばさんと、口の中に隠していた100ドル札を朝鮮のお金(1万2000ウォン)に替えた。まずそのお金を持ってジャンマダンに行った。
そこでズボンを買い、あまりにもお腹が空いたので、まだ青いトウモロコシを買って口に入れた。すると、後ろに人の気配を感じた。振り返って僕はとても驚いた。
救護所の人たちがぼくをじっと見ていたのだ。
「お前、昨日逃げ出したガキだろ」
彼らはぼくの後ろ襟をつかみ引っ張った。ぼくはまたつかまってしまったのだ。
その時、親戚のおばさんが偶然に道を通っていた。
ぼくは「早くお金をわたして、ぼくを助けてください」と哀願した。
おばさんは彼らに300ウォンを渡した。
(つづく)
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