大村一朗のテヘランつぶやき日記 歩道橋が出来た! 2010/04/26
我が家の近所に建設中だった歩道橋が、最近やっと完成した。小さなことだが、本当に嬉しい。
歩道橋の資材が運ばれてきてから2ヶ月近くもかかった。イラン正月の休暇を差し引いても、ちょっと時間がかかりすぎだ。でも、待たされた分、その感動もひとしおである。
この地区に住み始めてからおよそ5年、いつもこの場所に歩道橋があったらと夢見ていた。
イランに初めてやってきた外国人がまず苦労するのが、道路を横断することだろう。日本に比べ、イランには信号そのものが少ないし、横断歩道があったとしても、歩行者のために止ってくれる車など滅多にない。歩行者は車をよけて道路を渡るのが常識なのだ。イラン人は子供の頃から慣れているので平気ですいすいと渡っていくが、僕はいまだに慣れない。
子供の頃、ゲームセンターに「フロッガー」というゲームがあった。一匹のカエルが自分の巣に戻るために、10車線ほどもある道路を車をよけながら横断し、失敗すればペシャリと轢かれて死んでしまうというシュールなゲームだ。イランで道路を渡るとき、僕はいつもそのゲームのことを思い出してしまう。
そこは片側2車線の、車の往来のかなり激しい道路で、僕のアパートから青果市場へ行くには、そこを強引に渡るか、200メートルほど遠回りして別の歩道橋まで歩かなければならない。一人のときは、平気で渡っていくイラン人を盾にしてなんとかその道路を渡っていたが、子供を連れているときは、大事をとって遠い歩道橋まで足を運んでいた。しかし、市場で買い物を終え、両手に重い袋を下げての帰り道は、心底この場所に歩道橋があったらと願ったものだった。
もしこの場所に歩道橋を建ててくれる人がいたら、その人を大統領に選んでもいいとさえ思った。アフマディネジャード大統領が地方遊説のたびに、橋や道路や工場を作るというバラマキ政策を行ない、地方の純朴な人たちから絶大な支持を集めていったことも、なんだか納得してしまう。彼がどんな政治を行うかより、自分の身近な問題をどう解決してくれるかということの方が、庶民にとっては重要なのだ。
ところで、実際、どういう経緯でここに歩道橋を建設する決定がなされたのだろうかと、あるイラン人に聞いてみたところ、市民は137番に電話をかけ、苦情や要請を市に伝えることが出来るのだという。ある場所に歩道橋を作ってほしいという要請が多く集まれば、市が調査し、ある委員会で許可が下りれば、晴れて要請が叶うという。これが本来あるべき市民の権利であって、えらい人の一声で実現するべき問題ではないのは言うまでもない。
きっと多くの子供を持った親や、素早く道路を渡れないお年寄りなどが、私と同じようにこの場所に歩道橋をと願い、多くの要請が寄せられたのだろう。そう思うと、なんだかこれまで以上にこの小さな地区に愛着が沸いてくる。
そして今日、完成したばかりの真っ白な歩道橋を初めて渡ってみた。嬉しくて子供のようにわくわくした。ほかに渡っている人たちも、みんな嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか。