大村一朗のテヘランつぶやき日記 ・「服喪の母たち」を探して 2010/04/12
世界の紛争、戦争を伝える企画があり、その中で、この1年のイランの混乱について書かせてもらうことになった。テーマは家族。巻き込まれた家族の物語を通して、紛争の実情を伝えるというものだ。
イランの大統領選挙後の混乱の中で命を落としたのは60余名と言われる。そうした犠牲者の家族や、家族の誰かが刑務所に収監されている人などを探すべく知人に声をかけたが、なかなか難しい。
毎週土曜の夕方、テヘラン中心部のラーレ公園で、抗議デモで子供を失った母親たちが集会を開いていると聞き、足を運んでみた。
ラーレ公園は、芝生の緑地と樹木に覆われた、500m四方ほどもある広大な公園だ。集会はおそらく公園中心部の噴水の周囲で行なわれるのだろうと目星をつけた。
夕方、まだ明るいうちに到着すると、カップルや家族連れで賑わい、あちこちでバトミントンやウォーキングを楽しむ人々であふれていた。集会はこれまで何度か当局の取り締まりにあい、外国人がのこのこ出かけては目立つのではないかと危惧していたが、そんな緊張した雰囲気はまったくなかった。しかしこの日、黒衣をまとった母親たちの集会らしきものは見つからなかった。
自宅に戻ってインターネットで検索してみると、「服喪の母たち」に関する記事はたくさんあった。しかし、そのいくつかの記事から、今年の2月の集会で、支持者らも含めた一斉検挙が行なわれ、いまだに刑務所に収監されている母親や支持者もいることが分かった。しばらくはラーレ公園での集会も自粛しているのだと推測される。
そして今日、知人に紹介を頼んでいた人たちからも、ことごとく取材は受けられないとの返事が届いた。みんな捕まることを恐れている。たとえ偽名であっても、どこから足がつくか分からないのだと。
捕まった場合のリスクは、単に刑務所に収監されることだけではない。無事釈放される保証はなく、また、いつ釈放されるかも分からない。今もテヘラン北部の政治犯収容所の門の前では、家族の釈放を毎日待ち続ける人がいる。しかし、そこへインタビューのために足を運ぶことは、僕にとってもあまりにリスクが大きい。