人々の態度にもいろいろと変化が現れていた。「貨幣交換」が実施されたばかりの頃は、多額の現金を所持している人たちが右往左往している姿を見て「スーっとする」と言っていた貧しい人たちも、毎日上がり続けるコメの値段を前に、戸惑いと不満を隠さないようになった。

今回の「貨幣交換」で降って湧いた「セッピョル将軍の配慮金」も、手元に置くうちに日に日に価値が下がっていく。国家で配給を保障してくれるのならまだしも、それも無い。これまで最低限の生活を維持するための手段であった商売も、今では極度に萎縮している。当初貧しい人々が抱いていた期待感は急速に失望へと変わっていっているようである。
◎一二月六日(「貨幣交換」開始七日目[交換期限日])

◆カンさん
カンさんは交換上限を超え、紙くずとなる運命の多額の旧ウォン紙幣を持って農村に向かった。旧ウォンを持っていない人々に、「代理交換」をお願いするためだ。一〇万ウォンを渡して得られる新紙幣一〇〇〇ウォンを半々に分けるのだ。

このような方法で余剰分のウォンを交換した人がいるという話を聞いて、さっそく行動に移したのだ。数日前までは七:三の割合で、交換を持ちかけた人たちの取り分が多かったというが、最終日のこの日は足下を見られ、五:五にせざるを得なかった。

それでも半日かけて換えることができたのは五〇万ウォン程度だった。借金して作った旧ウォン一〇〇〇万ウォンのうち五〇〇万ウォンは借主に返し、一〇万ウォンは新券に交換、四〇〇万は戻ってこないだろうけれども銀行に預けた。結局借金したうちの六〇万ウォンだけを新ウォンと交換できたが、残りはすべて失ったことになる。

なんとか損を免れようと、あの手この手で銀行の職員を懐柔しようとした人も多かったが、成功した人はいなかったようだ。その様子を見たある住民は、「もう俺も金持ちのお前も一緒だな。皆、ゼロから同時に始めるんだ」とうそぶいていたという。「共産主義がふらっとやってきて、また行っちまった」(一瞬、社会が平等になったの意)と揶揄する人も。
(つづく)

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