「デノミ」の混乱時、一部炭鉱地区で鎮圧を準備か
昨年11月30日に突然断行されたデノミネーション措置(通貨ウォンを100分の1に切り下げ)は、一部地域で餓死者を発生させるなど大きな混乱を引き起こし住民の強い反発を受けた。
各地で小さな騒動が頻発し始めた12月中旬、北朝鮮当局は混乱が拡大して騒乱になることを恐れ、住民鎮圧のために軍の部隊を「要注意地区」に配置していたことがわかった。
この情報を最初に伝えたのは、リムジンガンの内部記者のキム・ドンチョル。三月に中国に出て来たキム記者は、筆者に対し次のように証言した。
「12月中旬、親戚のいる平安南道安州(アンジュ)郡のある炭鉱地区に滞在していた折、突然200人ほどの軍部隊がやって来て幕舎を設置して駐屯を始めた。この地区にはごく近い親戚がいるので頻繁に行き来している。
これまでも軍部隊が来て石炭掘削作業をすることが時々あったので、この時も石炭掘りに来たのかと思ったが、炭鉱の作業は一切せず、自動小銃を携行して地区の中を巡回し警戒態勢を取り始めた」
キム記者によると、部隊には満足な食糧が支給されていないため、晩になると兵士たちが民家を回ってキムチやコメをせがんでいた。
キム記者の泊まる親戚宅にも若い兵士が来たので、「部隊は何しにこの地区に来たのか」と尋ねると、「反動分子が騒ぎを起こしたら鎮圧しろという命令が出ている」と答えたという。
キム記者の説明によると、この地区は北朝鮮で「疎開民」と呼ばれる追放者が多く住む地域。植民地時代に富農や資本家だった者の子孫や、南朝鮮(韓国)に身内が逃げた「越南者家族」、身内に政治犯がいる者などが、60年代から平壌や都市部から送り込まれてきていたという。
「北朝鮮の中で、ずっと冷飯を食わされて来たのが『疎開民』たちで、政府に対する不満や反発心が強い。それを知っている当局が、『貨幣交換』(デノミ)で人民の不満が高まっていたため、万一騒乱が起こった時にはすぐに鎮圧するために軍部隊を投入して警戒に当たらせていたのだと思う」とキム記者は言う。
結果的に、キム記者が滞在した地区では騒動や治安の大きな乱れは発生せず、一月に入ってしばらくしてから部隊は撤収していったという。
キム記者によれば、投入されていたのは普通の部隊で、特殊な装備をしていたわけではなく、部隊名は分からないという。
「鎮圧部隊」はひろく派遣か
この3月のキム記者の報告を受けて、筆者は北朝鮮内部の別の取材パートナー2人に、他の「疎開民」多住地域で、同様に軍部隊が鎮圧準備のために投入されたようなケースがあるのか調べてもらった。
その結果、次の炭鉱地区でも同様に昨年12月に軍部隊が警戒に当たっていた、という報告がきている。ただし、大きな混乱や騒動が発生するということはなかったという。
・平安南道雲山(ウンサン)郡のジョンソン青年炭鉱地区
・咸鏡北道游仙(ユソン)洞の游仙炭鉱地区
調査できる地域に限りがあり、「疎開民」の多い地区がどの程度警戒対象とされていたのか、軍部隊の投入対象が炭鉱地区に限られていたのか、また実際に軍による鎮圧行動が行われた地域があったのかどうかは、現時点で不明である。
なお、「疎開民」は、気候の悪い山間地域、炭鉱、鉱山、北部の中国との国境地域に送られることが多い。
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