とりわけ当局が目の敵のようにして統制を厳しくしたのは、衣服や靴、雑貨などの中国製の一般消費物資の販売であった。この十数年、北朝鮮の市場は安い中国製品にほぼ独占されてきた。自国産業の保護、建て直しという意味もあって、これら軽工業品の中国からの輸入がデノミの前から制限されていた。国営工場で生産された国産製品が国営商店に並ぶことを目指してのことだとされた。

では、中国製品の閉め出しによって北朝鮮製品が溢れるようになったのだろうか。実際には、国営商店にやっぱり物は出回らなかった。つまり、やはり北朝鮮国内では生産できないのである。

こうして中国製品が市場に出回ることを妨げる一方で、自国製品の供給ができなければ、品薄で当然値段は上がることになる。食糧についても同様だ。前述したとおり、〇二年七月に定めた国定価格(たとえば白米一キロ=四四ウォン)での販売を指示したが、国家は食糧を持っていないので、市場に供給できない。

食糧を持っている農民や卸売り業を営む者たちは、当然高く売ろうとするから、国定価格を無視して価格が上がるのを待った。こうして、デノミはインフレ退治どころか超インフレを招くことになったのだ。統制計画経済の復活を目指す目論見は、力不足でもろくも市場に敗退してしまったのである。
(つづく)
注1 七・一経済管理改善措置(七・一措置)
二〇〇二年七月一日に発表された新経済政策。社会主義原則を守りながら、環境の変化に合わせて最大の実利を図る、として大々的に導入された。
「1.形式にすぎず実態を反映していなかった規定賃金、公定物価を実勢レベルに一律に引き上げる。
2.企業の裁量権を拡大し自立経営を促す。
3.拡大を続けてきた闇市場を閉鎖する。
4.食糧などの人民消費物資を、再び国家による供給体系に戻す」などを断行しようとした。

企業に採算性を求めるなど、一部に改革的性格が見られたため、日韓の研究者、メディアの中に「北朝鮮式経済改革」と評価する意見が数多く見られた。日本の学者の中には、「北朝鮮式ペレストロイカ」と持ち上げる人もいた。しかし、実体は「経済改革」とは程遠いものであった。

金正日政権の「七・一措置」導入の目的は、弱体化した経済に対する統制を回復させる、拡大する闇市場を再編成してその利権を権力が確保する、というものだったと思われる。「七・一措置」は、疲弊し矛盾だらけの国家計画経済体制を根本的に改めるわけでなく、食糧や消費物資を供給できる見込みのないまま、闇市場を強制閉鎖したことから、ハイパーインフレを発生させるなど大混乱を招いて失敗に終わった。

北朝鮮当局は、翌二〇〇三年三月に闇市場を総合市場に再編して商行為を合法化する。これは、〇二年七月段階で既に総合市場のオープンは予定されており、女性による市場活動を容認する政策が検討されていた。女性の商行為を認めた理由は、食糧配給体系から、労働者の扶養家族(家庭の主婦、子ども、老人など)を除外して、その労力を市場に誘導しようというものであったと思われる。

言い換えると、北朝鮮の権力者は、成長を続ける闇市場から生じる莫大な利潤に目をつけ、それを自己のものとせんがために「七・一措置」で一度闇市場を潰し、自分たちの都合のよい「市場ルール」を作りなおして総合市場に再編したと見ることができる。

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