Q:直接見たんですよね?
モ:将軍様の顔は見ればすぐに見てわかりますけど、金ジョンウン大将の顔は知りせんからね。紹介されて初めて、ああこれが金ジョンウン大将なんだなと理解しました。でも遠くからだったから、姿かたちだけ見えて、顔だちまでは詳しく見えませんでした。

Q:金ジョンウンが来ることに備えて、学習や講義のようなものはあらかじめあったんですか? キム大将はこんな人だとか。
モ:いいえ、それはありませんでした。

Q:「拍手をするように」とか言われましたか?
モ:それもなかったです。

Q:金ジョンウンが参加者に向かって何か発言しましたか? 指示を出すとか......。
モ:何もありませんでしたね。ただ、さっきも言った通り、誰かが「子どもを連れてきたのは初めてだ」なんて言っていましたよ。後継者だとかそういう話はありませんでした。

Q:金正日将軍の姿はどうでした? 痩せていたでしょう? 倒れた後遺症なようなものはありましたか?
モ:ああ、そういう政治的な話なら、俺は話せませんよ。

金正日の体調についての話題に触れることに対しては北朝鮮では最も敏感であり、こういった話は政治的な発言として受け止められてしまうため、モさんは口を閉ざしてしまった。

同じ時期に元山市に住んでいた別の人からも、金正日の元山訪問と金ジョンウンの噂について聞くことができた。「貨幣交換」特集記事にも登場するウさんである。

Q:昨年四月に金正日が元山の農業大学に来たという話を聞いたことがありますか?
ウ:ええ、知っています。元山ガラス工場、化学工場、靴工場、それで最後に農業大学を訪問したそうですよ。

Q:金ジョンウンも一緒に来たという話を聞きましたか?
ウ:いえ、それは聞いたことはありません。ガラス工場には商売の用事でよく出かけていたので、金正日が来たという日にも、たまたまその工場に行っていたのです。

そしたら、見慣れない人が私に向かって「何をしにきたのか」と聞くんです。商売のために来たなんて言えませんから、その場は適当にごまかして立ち去りました。後で工場に勤める知り合いに聞いたら、その時にちょうど、金正日がガラス工場にいたそうです。

Q:なるほど、金正日を見たその知り合いの方は何か言っていましたか?
ウ:その後、元山では噂がぱっと広がったんですよ。「将軍様が上手く歩けない」って。低い段差を乗り越えるのも大変そうで、体が大儀そうだったということでした。実際に見た人たちがそういう風に言ってましたよ。

Q:何か金ジョンウンについての話はありませんでしたか?
ウ:元山に来たとは知らなかったんですが、金ジョンウンの故郷は元山だという話は度々聞きました(注2)。昨年には、「元山市を特別に美しい都市にする、第二の平壌(ピョンヤン)にする」と言ったということです。

それだからと思うんですが、道を綺麗にしろだとか、支援物資を出せとかの要求が、人民班などで多かったです。でもみんな、「配給も無いのに何言ってるんだ」とずいぶんと不満に思っていました。

元山との特別な関係のせいか、金ジョンウンの歌も昨年(二〇〇九年)に随分広まりましたね。幼稚園児にも歌わせて......。その時は「キム大将」とだけ言っていたので、金正日の新しい呼び方なのかと思ったりもしました。でも後になってそれが金ジョンウンのことだというのが分かりました。
取材・整理 リ・ジンス
二〇一〇年一月

注1 金正日と関連した事柄には全て「一号」という修飾語が付く。「一号道路」といえば、金正日が通るために作られた道路、「一号行事」といえば金正日が参加する行事、「一号特閣」といえば金正日の別荘といった風に使われる。
注2 金ジョンウンが元山に深い関心を寄せているという情報は、韓国のいくつかのメディアも伝えていたが、はっきりしたことは分からない。

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