優に10 メートル以上の高さがある、がらんどうになった建物。

 

しかし、閉ざされた国の絶対権力者の野望は、技術、経済の観点から見ると独善でしかなかった。失敗の主な理由は次の三点に集約できよう。

1.資金難と技術不足。
北朝鮮経済は八〇年代に入り、坂を転げ落ちるように不調に陥り、コンビナート建設の資金も資材も十分に調達することができなかった。また、機械設備を作るのに必要なステンレスやアルミなどの合金技術があまりに未熟であった。そのため、完成したとされた各工場自体が極めて不完全な代物だった。手抜き工事や資材の横流しも多かったと言われる。八〇年代末からソ連や東欧諸国からの技術支援が途絶えた影響もあったとされる。

2.ビナロンの欠陥。ビナロン自体が繊維としては衣料に向かず用途が限られており、世界の化学繊維の主流はナイロンなど石油を原料とするものであった。あまり役に立たない繊維を作るために過剰な投資をすることになってしまった。

3.時代遅れのシステム。当時の石炭化学は費用対効果も質も悪いシステムで、化学コンビナートの世界の趨勢は既に石油に取って代わられていた。
しかし最も重要なのは、これらの問題点は計画段階でもはっきりしていたはずなのに、なぜ止められなかったのか、修正できなかったのかということだ。

計画が失敗に帰した最大の原因は、産業施設としてのコンビナートを、経済原理や技術原則に基づいて設計しようとするのではなく、「チュチェ」「自立」などのイデオロギーを前面に立てて推進しようとしたことにある。経済や技術は観念通りにはならないのである。

そして、絶対権力者の金日成の指示は無条件に貫徹しなければならないという、極度の権威主義政治の呪縛もきつかった。「石炭が豊富だからといってビナロンという時代遅れの繊維を生産の中心にすべきでない」と主張した呂卿九(ロ・ヨング)博士は、金日成の批判にさらされ自殺したと言われている。

科学的、経済的合理性によってではなく、イデオロギーと政治で、あらゆる物事を解決しようとする社会体制に失敗の根本原因があったというべきだろう。
次のページへ ...

★新着記事