1.沙里院(サリウォン)市の「闇の卸売り商店街」[4]
2008年10月撮影
取材 シム・ウィチョン 解説 石丸次郎
国境地帯全域で行われていた合法非合法の貿易は、次第に新義州(シニジュ)、恵山(ヘサン)、羅先(ラソン)の三か所に集約されていく。北朝鮮国内で物流に有利な都市に貿易が集中し、競争に負けた都市は貿易拠点から外れていくことになったのだ。
この三都市に流れ込んだ中国産品は、次に国内の流通拠点に運ばれていく。現在では平安南道の平城(ピョンソン)市、咸鏡北道の清津(チョンジン)市が二大物流拠点になっている。いずれも東西南北を結ぶ道路と鉄道のターミナルを持つ交通の要衝だ。北朝鮮の地方中核都市には、この平城と清津から物資が運ばれていき、そこからさらに地方の小都市に運ばれ、最終的には最南端の黄海南道や僻地の市場にもたらされるのである。
「自力更生」を掲げ「自前の資源と技術と労働力」で経済繁栄を目指すとした時代、市場の力はまだ弱くあらゆるものが欠乏した。ところが今では、中国から五〇〇キロも離れた黄海南道の郊外の地方小都市でも市が立って、中国製の雑貨や東海岸でしか獲れない魚が並ぶようになった。たったの一五、六年で、溢れるほどの物資が北朝鮮の隅々にまで運ばれるようになるほど、流通が高度化したわけだ。
それにしてもすごいのは、二〇〇〇万国民の生活を支える流通網が、政府や指導者が指示・指導したわけでもないのに大きく発展したことである。
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