大村一朗のテヘランつぶやき日記 ショマールへの小旅行・2 2010/07/27
ルードハーン城砦での観光を終えた後、この城砦観光の拠点となる町フーマンに戻った。人口約3万の中規模な町だが、この日は毎週火曜日に開かれる定期市が開かれ、目抜き通りには数百メートルにわたってバーザールのテント小屋が並び、近郊から訪れた買出し客でお祭りのように賑わっていた。
フーマンは、コルーチェという名菓の発祥地としてイラン全土にその名を知られている。コルーチェは、香辛料を利かせた、胡桃の餡の入った直径10センチほどの丸い焼き菓子で、フーマン市内には焼き立てのコルーチェを売る店が至るところにある。今ではテヘランでも簡単に手に入るコルーチェだが、本場で買う焼き立ての味は格別だ。
保養施設へ戻るために拾ったタクシーの運転手は、コルーチェの歴史を教えてくれた。80年ほど前にフーマンの住人の一人が考案し、それが町中に広まり、今ではイラン全土に広まったという。
タクシーは海沿いの小さな村や町をいくつも通り過ぎた。そのたびに、顔写真のプリントされた大きな看板が目に留まる。イランイラク戦争での殉教者の顔写真だと運転手が教えてくれる。ちょっとした町なら十数人、そしてどんな小さな村でも数人の殉教者を出している。
例えばこのギーラーン州の州都ラシトのような人口十万近い町だと、いったいどれほど大きな看板になることだろう、と不思議に思い、運転手に尋ねると、そうした大きな町では、司令官クラスの殉教者と、バスィージ(義勇兵)として戦場に散った殉教者の顔写真だけを載せているのだという。
「だって、従軍期間が終わっても自分の意思で戦場に残って殉教していった者たちと、そうでない殉教者を同列に並べることは出来ないだろ?」
運転手はそう言う。殉教の価値に差をつけるのはどうかと思うのだが、年配のこの運転手自身、あるいはその近親者がかつてバスィージとして前線に赴いたのかもしれないと思い、あえて僕は口をつぐんだ。
国のために殉じた人々をいつまでも敬う姿勢には感心するが、この殉教者を華々しく飾る看板の派手さには、どこか体制への忠誠を人々に思い起こさせるための演出が感じられてならないのは、僕の邪推だろうか。
イラン・イラク戦争での犠牲者はイラン側だけで100万人近い。その遺族たちは今も体制とその価値観を熱烈に支持する、政府にとっては巨大な支持母体だ。
タクシーが保養施設に到着する頃には、この運転手が熱烈な政府の支持者であり、大統領選挙後の騒乱についても、国営メディアの政府寄りの報道を固く信じて疑わない保守層であることが分かった。政治の話になれば、きっと車内は険悪な空気になっていただろう。
夜中に100キロ以上も走って、運賃も比較的安く、僕らを施設の前で下ろすと気持ちの良い笑顔で去っていったこの運転手は、典型的な人の良い親切なイラン人だ。こういうとき僕は、今この国にくすぶる人々の対立が、無性に残念でならなくなる。(おわり)