政権崩壊後、フセイン元大統領のふたりの息子、ウダイとクサイが隠れていたのもモスルだった。バース党の強固な基盤があったこともあり、現政権に反発する人は多い。
日本人を殺害したことでも知られるアンサール・スンナ軍はこの街を拠点としていたし、シリアとの国境に近いためイラクのアルカイダ機構などの外国武装勢力の流入も絶えなかった。
これまでの米軍の掃討作戦とは、武装勢力と疑えば見境いなく殺害し、周辺に誰がいようと隠れ家ごと爆弾で吹き飛ばす、というものだった。それが米軍の「テロと戦い」であった。
家族や友人を殺された怒りは復讐心へとかわり、武装勢力を勢いづかせるという皮肉な結果となっていた。
武装勢力は当初、モスクや大学などでアメリカに反感をもつ若者を組織化し、反米闘争を急速に拡大させていた。
ところが自爆攻撃で市場など一般市民を狙うようになっただけでなく、反対する者を残虐に処刑した。見せしめ的にモスル市内の広場で斬首刑を行ない、市民を震えあがらせた。
「異教徒とその協力者に裁きを下すことは大イスラム史と神の道に背くものではない」
こんなビラが地区に流通したり、DVDとなって出回った。
過激化、先鋭化するにつれ、一般の人びとはついていけなくなる。
支持を得られなくなった武装勢力は、カラマ地区のような貧困地域の住民たちを組織化のターゲットにした。
わずかな現金を渡して仲間に誘ったり、武器の運び役を依頼するなどして組織に協力させていったのだった。
(つづく)
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