それでも私は脱北する
Q:出所したらどうするつもりでいましたか?
A:出所したら中国にまた逃げようと決めていました。やっぱり子供が中国にいるし、私のような者が監獄から出て来ても生きていくのは難しいですから。お金は一銭もないし、親戚の叔父たちが助けてくれたとしても一、二回でしょうし。
今の朝鮮は、自分の子供にさえ知らんぶりする世の中だから、姪だから助けるなんて期待できないんです。監獄にいたときから、中国へ出て行けたら、次は絶対に捕まらないぞと思っていました。もう一度甑山で生活するくらいなら、自殺して死ぬ方がマシです。あの中ではもう絶対に生きていけない。だから、私は中国で絶対に捕まってはならないんです。
Q:中国では(キリスト教の)教会に通っているそうですね。
A:はい、神様を信じています。監獄の中で一握りのご飯を分けてもらった時、「神様ありがとうございます。人を遣わされて、苦しい関門を越えるようにしてくださってありがとうございます」という感謝の祈祷をしました。そして監獄の中で良い人に会うようにしてくださいと祈りました。周りの人に感づかれないように、目をつぶって心の中で静かに祈ります。
とても心が安らぎました。監獄の中では、ご飯一盛りがどれだけ貴重でしょう。私がお腹が減って本当にしんどかった時に食べ物を分けてくれたその人のことが、とても印象に強く残っています。あんな困難の中でも、自分も苦しいはずなのに人を助けるなんて、とても不思議でした。
Q:脱北したことが罪に問われましたが納得できますか?
A:納得ですって? 私たちのような貧しい者は、食べるために、生きるために仕方なく中国に渡江したんですよ。他に方法がなかったんです。それを罪にされるのは、本当に悔しいです。中国のように開放された国々では、外の世界と好きに行ったり来たりできるのに、朝鮮だけができないから、中国に出たことを罪にするのでしょうが、私には納得がいきませんし、息子に対しても恥ずかしいことをしたとは思いません。
(このインタビュー おわり)
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