解説 北朝鮮式風紀取締りの仕組みと目的 下 石丸次郎
なぜ取締りは厳しくなったのか
いろいろと規制の多い北朝鮮であるが、それにしても、「女はズボンをはくな、スカートをはけ、自転車に乗るな」というのはあまりにひどい女性差別だ。社会主義を標榜している国の指導者であるにもかかわらずこのような指示を出すとは、金正日総書記はいったいどのような女性観を持ち、国民をどのように扱っているのであろうか。「北朝鮮式社会主義」なるものの本質をよく現している措置だといえる。
年配の北朝鮮人に聞くと、スカートをはけという当局の統制は既に六〇年代からあったようだ。ズボンとは作業服、モンペのようなものだから、もともとチマチョゴリを着用していた朝鮮の美風良俗に合わないという理屈を、指導者が言い出し、それがまかり通ってきたのだ。一方でスカートなら何でもいいというわけではない。膝上丈の短いスカートは、資本主義の退廃文化として取締りの対象なのだ。
一九八九年、韓国の学生組織が統一運動の一環として、韓国外国語大生の林秀卿(イム・スギョン)を欧州経由で秘密裏に北朝鮮に派遣した。「祖国統一」のために平壌に乗り込んで来たこの女子学生を北朝鮮の若者は熱狂的に歓迎したが、一方で彼女の出で立ちは若者に強烈な印象を与えた。
肩までの髪にはウェーブがかかり、どこで演説する時もジーパンにTシャツという軽装。「堂々として、自由に振る舞い、格好いいと思った」というのが、当時テレビで彼女を見た北朝鮮の若者の共通した印象である。女子大生の間で「林秀卿カット」が流行り、どこで入手したのかわからないが、ジーパンをはくのが最先端のお洒落になっていたという。ところが、このジーパンは資本主義退廃文化の象徴として厳しく禁止されてしまう。
スカートは、働き動きまわる女性にとっては不便なものだ。九〇年代半ばの社会大混乱の折、食糧配給が止まる中で女性たちは商売のために全国を移動した。大荷物を担ぎ、路上に座り込んで休み、市場に商品を運び入れて売った。彼女たちはもちろんズボンをはき、自転車にも乗った。
誰もが生き延びるために商売をしなければならず、糾察隊の活動は一気に低調になった。九〇年代末ごろには金日成バッジを付けずに出歩いても、厳しく咎められることはなくなるほどであった。社会混乱が続く中で統制力が弱体化していったと見ることができる。この傾向は〇四年頃まで続く。ところが〇五年頃からは、一転して糾察隊による風俗・風紀の取締りが厳しくなったと、北朝鮮内部の記者リ・ジュンは言う。
そして、〇八年の秋からは、《取締り旋風》といっていいほど厳格な風俗・風紀に対する規制が始まる。これは、金正日総書記が健康を害して倒れたとされる時期と符合する。また規制が強まったのは、風俗・風紀を対象としたものに留まらない。庶民の商売活動や中国への出国、中国との国境方面への移動など多方面にわたっている。その理由は次の二点に整理することができるだろう。
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