80年代後半からの経済不振、そして90年代後半の、「苦難の行軍」と呼ばれる大社会混乱の時期には採掘量が大幅に低下した。この時期、食糧配給もなくなり茂山鉱山の労働者の中からも中国に脱出するものが続出するようになった。ようやく生産が回復するのは1998年になってから。その後、2000年には、990万トンの原鉱石を採掘し、精鉱320万トンを生産し生産量のピークを迎えたとされる(※1)。
だが、電力不足による操業時間の減少、選鉱工場や採掘機械など随伴施設の老朽化、採掘ラインの未確保などにより、再びその生産量は減少し、精鉱の生産量は2004年には200万トン(原鉱石660万トン)にまで落ち込んだ(※2)。
こうした中、中国との間に茂山鉱山をめぐる開発投資話が持ち上がる。中国では国内の経済発展に伴う急激な鉄の需要の増大に直面している。そのため、2000年には7000万トンだった鉄鉱石の輸入量が、2004年には3倍の2億800万トン、2009年には6億2800万トンになるなど、経済発展のために鉄鉱石の確保が重要な命題となっている。
一方、北朝鮮では外国からの支援なしには茂山鉱山の再生は難しい状況を迎えていたが、かといって積極的な「投資」を受けるには条件が整っていなかった。外国人投資法が整備されたものの、茂山鉱山は北朝鮮におけるその戦略的な位置から、容易に外国に開放する訳にもいかず、また、責任を持って法律を履行し、投資者の利益を守るシステムも北朝鮮内部には存在しなかった。
このため、そうした事情を飲み込める唯一の対象、中国との間に2003年から協力関係を築いていくことになった。しかしお互いの事情を熟知している国同士での交渉はその後、幾度も紆余曲折を経ることになる。(つづく)
※1 「TumenNet Musan Iron Ore Mine Fact Finding Mission report」(Clough Engineering and Mitsui Mineral Development, 2001)より引用
※2 『北韓・中国間の鉱物性生産品貿易と北韓の先軍経済建設論』(裵鐘烈、韓国輸出入銀行「北韓経済2009年夏号」)より引用