インタビュー:強制送還された脱北女性の証言5
聞き手 石丸次郎
◆〈インタビュー 1〉Aさん (5)
取材:二〇〇八年九月
所内での労働
Q:女性収監者を担当するのは女性の保安員(警官)ですか?
A:はい。管理課の建物の中では年配の女性保安員が警備し、田畑で仕事する時は若い女性保安員が警備に立ちます。
Q:周辺には一般の村のようなものはなかったんですか?
A:集落はありますが、保安員(警察官)らの家族らが住んでいて、またそこで警察のために仕事をする労務人員たちが住んでいます。
Q:協同農場はないんですか?
A:ありません。そこの田畑はすべて教化所の囚人で耕していますから、一般の農場や工場のようなのはなくて、労務人員家族と保安員家族たちが住む集落があります。田植えの時はその人たちも動員されて手伝います。
Q:宿舎はどんな様子ですか?
A:一般の家のようです。長く一列に繋がっています。
Q:あなたはどんな仕事をしましたか?
A:稲作です。広いですよ。私たちの班は五、六〇人いて担当が一九町歩でした(一町歩は約〇・九九一七ヘクタール)。それをすべて人が手で田植えをして草取りをして、刈り取って脱穀します。全部人力でやるんですよ。私のいた管理課には稲作だけをやる班が四つありました。他の管理課にも稲作専門の班がありましたから、全体で言うと相当広いですよ。
Q:機械化されていない?
A:機械といっても、トラクターで田をおこすだけでした。
Q:甑山での一日の日課について話して下さい。
A:田植えの時期には朝四時に起きて食事をして、五時半か六時なれば田に出て行きます。田植えの季節は忙しいですよ。午前に大体三〇分程度休息があって正午一二時に昼食です。田植えの時は《移動飯》と言って、管理課の建物に戻って食べるのではなく、田畑に食事を運んで食べます。午後にも三〇分間の休憩があって、四時に《中菜》といってまた食事を摂ります。農繁期はしんどいので、食べさせないと人は耐えられませんから。
次のページ:そしてとにかく太陽が沈むまで田植えばかりします...