【金曜礼拝会場のテヘラン大学に入りきらず、路上で礼拝する人々。(撮影・筆者 10/09/03)】

テヘランつぶやき日記
大村一朗のテヘランつぶやき日記 世界ゴッツの日 2010/09/03
9月3日、今日は世界ゴッツの日。およそ30年前、イランイスラム共和国の創始者イマーム・ホメイニーが、イスラム教徒の断食月・ラマザーン月の最後の金曜日に、虐げられたパレスチナの人々への支持と、抑圧者イスラエルとその支持者たちへの嫌悪を表明するよう呼びかけたのが始まりだ。ゴッツとは「神聖」の意味。暗にベトルモガッダス、つまりエルサレムのことを指す。

去年のゴッツの日は、大統領選挙直後に息を潜めていた改革派市民が、この官製デモに便乗し、およそ3ヶ月ぶりに街頭に出た日だった。そしてそれがその後数ヶ月に渡って続く一連のデモの序章となった。
今年、2月の革命勝利記念日以来、デモらしいデモは起こっていない。6月の大統領選挙一周年でも、夜、わずかな若者が騒いだ程度だった。

3日のゴッツの日を目前に控え、政府は街頭に治安部隊を配備し、一方で、ゴッツの日への参加を表明していた改革派の指導者の一人キャッルビー師の自宅に、ごろつきを何度も集結させ、3日前夜にはとうとう自宅に襲撃をかけさせ、多くの怪我人が出た。そして迎えた3日、僕は、官製デモの最終地点であり、金曜礼拝が行なわれる、エンゲラーブ広場近くのテヘラン大学へ向かった。

エンゲラーブ広場へは直接向かわず、4キロほど西のアーザーディ広場へタクシーで向かい、そこからバスに乗り込む。テヘランを東西に貫くアーザーディー通りをバスはエンゲラーブ広場に一直線に向かう。これまでもこの路線からデモや衝突の様子を見ることが出来たが、この日は気味が悪いほど静かで、通行人の姿はほとんど見られない。警備も100メートルおきに数名の兵士が見られるだけだ。

次第に警備の数は増えていったが、ついに緑のリストバンドを見ることなく、バスは体制派市民の官製デモで賑わうエンゲラーブ広場に着いた。バスはそのまま、アーシュラーでかなり衝突があったフェルドルスィー広場を過ぎ、町の東のはずれのイマーム・ホセイン広場に到着した。そこで、これまで多くの改革派が集結したヴァリアスル広場やハフテティール広場をへ向かうバスに乗り換えた。

しかし、途中、バスは通行止めに阻まれ、僕は仕方なく徒歩でヴァリアスル広場に向かうことにした。これまで多くの衝突があったヴァリアスル通りを歩くが、通行人はほとんどいない。拡声器から流れる、テヘラン大学で演説するアフマディネジャード大統領の声が、通りに響いていた。もう1時間以上も話し続けている。

ようやくたどり着いたヴァリアスル広場で、警備のバスィージ(体制側の市民動員軍)に捕まり、手荷物検査と尋問を受ける。捕まったときのため、それぞれの場所でのもっともらしい言い訳を考えてある。ここなら職場までバスで一直線だから、これから出勤するのだと言うのが一番説得力がある。予想通り、その言い訳と社員証で解放される。そして僕はそのまま、バスで職場へと向かった。

去年のゴッツの日、3ヶ月ぶりに改革派の行進を目にし、これから始まる大きなうねりを感じて身体が熱くなった。そして今年、それがもう終わったことを理解した。
家の近所の商店の兄ちゃんも、階下の弁当屋の兄ちゃんも、その斜迎えの自然医薬品店の兄ちゃんも、みんなこの国の政府に毒づいていたけれど、一度もデモに参加したことはない。仕事を休めないし、店を閉めてまで、そして危険を冒してまでデモに参加するには、相当のモチベーションが要る。

にもかかわらず、去年、国民の記念日のたびに街頭を埋めていたデモ隊は、とうとう今日、前夜に改革派の指導者の自宅が襲撃を受けたにもかかわらず、街頭に出て声を上げることはなかった。
イスラム共和制史上前例のない、しかし、1年と続くことのなかったこの抗議運動は、イランに何を残したのだろうか。多くの若者の死は、どういう意味を持つのだろうか。体制側が多くの教訓と、市民を抑える術を学んだことは確かだろう。今日の様子から抗議運動の終息を確信した政府は、そのうち改革派の指導者ムーサヴィー、キャッルービー、ハータミーの3人の逮捕に着手するだろう。

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