チベット系民族と2つの名前(下)
※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署名を「宇田有三」に統一します。

これは私の想像だが、1968年前後の国境確定の際、ビルマ側はそこにチベット人が住んでいることを隠したまま国境を決める手続きを進めたのではないか、ということである。中国は今でこそ、国際社会から非難や批判を受けているビルマ軍事政権を擁護しているする立場であるが、当時の両国の関係は最悪であった。
初代の独裁者ネウィンは1962年にクーデターを起こし、ビルマ式社会主義を推し進めた。その際、経済の中枢を握っていた中国人やインド人を追放し、彼らの財産を没収した。中国は当時のビルマに猛烈に抗議をする。2つの国は仲違いをするようになった。それ故、中国から逃げてきたチベット人をビルマ政府が匿ったという想像もあり得るのではないか。

ちなみに、私が実際にタフンダン村を訪れた時、自分のノートに書き込んだジャンスーさんの弟の名前は、ナンマー・ジャンセンという名前ではなくアンセーだった。前者はラワン名で、後者はチベット名である。カカボラジに初登頂を果たした後、ラングーンで記者会見をする際にアンセーさんは、ラワン名であるナンマー・ジャンセンで通したそうだ。チベット人であることを公式に表明しなかった。
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