石丸:結構、突っ張ってたんですね(笑)。裁判は受けましたか?
キム:私の場合は、教化所ではなく教養所ですから、裁判はありません。会館のような所に人々を集めておいて、保安員がこれこれこういう罪があるから一年間、教養所に送ると言って、足枷をはめられて連れていかれました。労働鍛錬隊より少し扱いが重いのが教養所でした。

石丸:その後、教養所はなくなったようですね。
キム:朝鮮には教化所があって政治犯管理所があって、また一年の教養所があって、それから鍛練隊......。このようにたくさんあったんですね。ところが教養所はなくして教化所に包括したんです。そういうのが(拘置施設が)多いと世界から非難されたからだろうと、朝鮮の人々は、皆そう考えています。だからそれを一つ無くしたわけなんですね。今まで教養所送りに該当した人が甑山教化所に送られることになりました。

石丸:どんな罪で入ってきた人たちがいましたか?
キム:故意に人を殺した人、正当防衛で人を殺してしまった人など、殺人罪で入って来た人もいるし、強姦罪、窃盗罪や喧嘩、交通事故で人を轢いたりして入った人もいたし、また、国家公務員が国の財産を横領してそれが発覚したケースもあったし、妻子がいるのに他の女と同棲していたとして入ってきた人もいました。教養所の拘留期間は当時一年未満だったから、殺人罪で入ってきた人にはとても幸いなわけですが、まぁ、すごいコネがあるか、賄賂を使って甑山に来た人でしょう。

石丸:中国で捕まって送還された人たちも多いそうですね。
キム:甑山に送られた大多数の女性は、中国に逃げて捕まってきた人たちでしたよ。男のそういう人はあんまりいなかった。
甑山教化所は、もともと「一一号労働教養所」と呼ばれていた。教化所(日本で言うところの刑務所)ではなく、比較的軽い罪の者を労働を通して思想改造するための拘禁施設であった。管轄するのは保安省(警察)で、裁判を経ないで一年まで収容することができた。
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