ちなみに、同様に裁判なしで警察の決定で拘留、強制労働させる施設として労働鍛錬隊がある。労働鍛錬隊は拘置期限が六ヶ月までで、各道と大規模企業所内に設置されていて規模は数百人程度。いわば、その拡大版が「労働教養所」で、収監者も数千人から一万人に及ぶ規模だった。

どのような行為が「労働教養所」送りに該当するのかというと、常習でない窃盗や賭博行為、酒密造、中国への非法越境、軽微な詐欺、組織的でない売春などで、社会主義の風紀を乱す「非社会主義犯罪」の中でも比較的軽いとされるものである。正式の裁判を経ず、地域の保安署が拘留を決定できた。

判決が下ったわけではないので、刑事犯として犯罪歴は残らず公民権も剥奪されない。収容中に選挙を迎えると投票もするのだという。
この「労働教養所」が廃止されたのは、二〇〇四~〇五年にかけてのことと思われる。〇四年四月に北朝鮮政府は刑法を改定したのだが、その時に組織改編があったと思われ、「一一号労働教養所」は甑山教化所となったと推測される。

収容者はすべて裁判で判決を受けて収監されるようになり、「労働鍛錬刑」の判決を受けた者と、一般犯罪で教化刑(懲役刑)の判決を受けた者が混在することになった。

さて、なぜこのような法改定と組織改編が必要だったのだろうか。キム記者の証言にもあったが、国際社会による北朝鮮の人権非難のトーンが高まったため、というのが筆者の推測である。韓国入りした脱北難民の口から次々と、金正日政権が「裁判なし」で多くの民衆を労働鍛錬隊と労働教養所に送りこんで強制労働させているという事実が暴露された。仮にも北朝鮮は人民民主主義を名乗り、国際人権規約加盟国である。

ことは政権の正当性にかかわる問題であり、さすがにやり過ごすことができなくなったのだろう。
制度改定から五年あまり。甑山教化所に収監されている人々は、すべて裁判を経て送りこまれるようになった。しかし、紹介してきた証言からもわかるとおり、収容者に対する劣悪で過酷な取り扱いは、全く改まることはなかったようである。むしろ、一年に及ぶ強制労役が、法のもと「お墨付きを得て」行われるようになっただけ性質が悪くなったともいえる。

問題の本質は、裁判の有無ではなく、無償で権力のために「罪人」を働かせ続ける仕組みにあるわけだが、その点については、「[3]搾取と利権」の部分で詳しく言及する。
(つづく)
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