ウシャの名前はその3年前に聞いていた。彼女が女性で初めて人民解放軍の大隊コマンダーになったという噂を聞いて、いつか会ってみたいものだと思っていた。ウシャがロルパ郡出身であるということにも興味があった。
そのため、カンチャンからウシャが集会に来ていると聞いたときに、すぐにインタビューをしたい旨を伝えたのである。集会が終わったあと、私たちはこの夜の宿泊地である別の村に行った。3時間ほど、ウシャと話しをしながら山道を歩いた。ウシャが言った。
「あなたのことは、マオイストを取材する女性ジャーナリストとして、カンチャンからよく話を聞いていました。そのため、とても親近感をもっていました。初めて会ったような気がしません」
政府との和平交渉団のメンバーだったカンチャンとは、最初の停戦期間である2001年8月にカトマンズで会っていた。2時間を越えるインタビューをしたときのことを、覚えていてくれたようだ。
身長が150センチほどの小柄なウシャは、丸い顔、小さな目をもち、モンゴル系の民族マガールの典型的な顔立ちをしている。私たちは、夕方、暗くなるころに宿泊先の民家に着いた。薄暗い土間に座り、私はあらためてウシャへのインタビューを始めた。
この日は時間が足らず、再会を約して、翌朝、私はカトマンズに戻った。その後、2006年11月に和平協定が成立し、内戦が終結したあと、私は何度もウシャにインタビューをする機会を得た。
そうしたなかで、彼女が女性ゲリラ第一号であることを知ったのである。
(つづく)
【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像
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