YCLのロルパ郡初代会長はパサンことナンダ・キソル・プンが、2代目会長はアナンタが務めている。2人とも後に、マオイストが結成した人民解放軍のトップ・コマンダーになっている。
ロルパでは、YCLのメンバーがマオイストの武装勢力の中核となり、パサンやアナンタらがその発展と拡大に重要な役割を果たすことになる。

人民解放軍の兵士にバッグなどを作って贈るプログラムで、ロルパの女性マオイスト・リーダーたち。サリーを着た女性たちの一番右側がウシャ。中央が、その後、女性組織のトップとなったジャヤプリ・ガルティ・マガール。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)
人民解放軍の兵士にバッグなどを作って贈るプログラムで、ロルパの女性マオイスト・リーダーたち。サリーを着た女性たちの一番右側がウシャ。中央が、その後、女性組織のトップとなったジャヤプリ・ガルティ・マガール。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)

 

ウシャは女性組織の活動を通じて、ジャヤプリ・ガルティ・マガールとタラ・ガルティ・マガールの二人の女性と知り合った。ジャヤプリとタラは、ロルパの北西部にあるランシ村の学校で教えるパサンの生徒だった。

1974年生まれのジャヤプリは、1990年の民主化直後、9年生のときに学生組織のメンバーとなった。その後まもなく女性組織のメンバーとなり、ロルパ郡におけるエカタ・ケンドラの女性活動家を率いることになる。

1991年の総選挙のときには、ジャヤプリと彼女の妹であるサダナ、そしてジャヤプリよりも1才年下のタラは、彼女たちの教師であるパサンとともに、1ヶ月間学校を離れてマハラの選挙運動に参加した。村々で開かれる選挙集会では、パサンがマーダル(太鼓)を鳴らして、ジャヤプリが歌い、それに合わせてタラとサダナが踊った。

この選挙活動が原因で、タラは10年生の最後に受けるSLC(学校終了資格)の試験に落ちた。その後、SLC試験の勉強のために郡庁所在地のリバンに行ったさい、同い年であるウシャと近しくなった。
(つづく)

【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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