■第9回 党分裂から武装闘争へ(1)
1990年4月の民主化後、マディチョールのジャルジャラ青年クラブのメンバーの大半が、エカタ・ケンドラの傘下にある学生組織のメンバーとなった。ウシャも例外ではなかった。
ロルパの学校で教える教師の大勢がコミュニストだったが、パンチャーヤト時代には表立った活動はしなかった。しかし、民主化後政党活動が自由になると、"カミング・アウト"してオープンに活動を始めた。
そうした教師が働きかけて、あちこちの学校で学生組織が作られた。ウシャもリバンにある高校の学生組織で活動をしていたが、ロルパでは女性の活動家が少ないことから、アナンタら党からの要請で、活動の場を女性組織に移していった。1993年にはエカタ・ケンドラの党資格を得て、フルタイムで党の活動をするようになった。
この間、ロルパでは与党のネパール会議派とエカタ・ケンドラの対立が
深まっていった。1993年の6月になると、偽の罪状3件で逮捕状をだされていたアナンタが、警察から逃れるために自宅を離れて地下に潜行した。同様に、リバンの高校の学生活動家だったパサンやソナムも地下に潜行して活動をするようになった。
ウシャは幸い起訴されることはなかったために、人民戦争が始まる直前まで地下に潜行することはなかった。
ウシャはエカタ・ケンドラの女性組織で活動をするとともに、同党の青年組織であるヤング・コミュニスト・リーグ(YCL)のメンバーにもなった。YCLは1990年の民主化後も、党組織が地下に潜行して活動していたエカタ・ケンドラの敵に、肉体的刑罰を含めた対抗措置を実行する"自警団"の役割を果たす組織だった。
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