■ 弾圧と差別
彼女の反骨精神は生まれつきのものであったのかもしれないが、彼女の家族に起こったさまざなま出来事がそれを強めたことも事実である。最初の出来事は、ウシャが10歳のときに起こった。2番目の兄であるトラ・ラムが殺人罪で逮捕され、拘留されたのである。
当時、ネパールは国王が強権をもつパンチャーヤト制度下にあったが、村のパンチャーヤト支持者が、当時、非合法だったネパール共産党マサルの党員だったトラ・ラムを陥れるために、村の祭りの日に川に流されて死んだ人を殺害したとして、罪を作為して逮捕させたのだった。拘留中、トラ・ラムはさまざまな拷問を受けた。
息子の保釈金を作るために、ウシャの父は土地を売り借金をした。トラ・ラムを釈放させるためには、保釈金だけでは足らず、裁判所の判事や警官に賄賂を払わなければならなかった。9万ルピーの賄賂を作るために、ウシャの父は土地を売ったものの、それだけでは足らずに村の金貸しから2万ルピーの借金をした。高い利息を払わねばならず、2万ルピーの借金は2年間で12万ルピーに膨れ上がった。
それだけでなく、ウシャのなかに官憲に対する強い反感が芽生えたのは、兄を拷問し、汚職にまみれた警官を見たためだった。
ウシャが15歳のとき、今度は3番目の兄ナリ・ラムが逮捕された。1990年2月に、非合法の政党がパンチャーヤト制度打倒の民主化運動を始めたあとのことである。反王制のスローガンが書かれたポスターを貼ったとする罪が着せられたが、これも作為された罪状で、ナリ・ラムが反体制派の共産系政党支持者であるトラ・ラムの弟であることが逮捕の理由であることは明らかだった。
兄2人に絡んだこれらの出来事のあと、ウシャは警官を見ると強い反発と嫌悪を感じる"アレルギー"反応を示すようになった。
ウシャは8年生から10年生までを、郡庁所在地リバンにある高校で学んだ。ウシャにとって、リバンは育った村とは全くことなる世界だった。
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