
アナンタらクラブの活動家は、1990年の民主化前に、リバンにいる非合法の政党活動家から反パンチャーヤト、反王制のパンフレットなどを受け取り、マディチョールに持ち込む活動もしていた。こうした政治活動のために、クラブの会長を務める教師が警察に捕まり拘留されこともあった。
しかし、ジャルジャラ青年クラブがマディチョールの村人に与えた影響は絶大だった。
クラブの活動家の大半が1990年4月に民主化が実現し、政党活動が合法化されたあと、共産党の党員や支持者になった。クラブを率いたアナンタらは民主化後、政党の傘下にある学生組織の活動家となり、そして、後にマオイストとなった。
マディチョールでは、このクラブがマオイストを生み出したと言ってもいい。ウシャもその一人だったのである。
(つづく)
【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像
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