視聴覚室では、5分ほどの記録映像を見せてもらう。そこに映るのは、前線であれ、塹壕の中であれ、カメラに向かって意気揚々と手を振り、笑顔を見せる兵士たちの姿だ。
戦闘中の映像では、どの兵士も敵に向かって思い思いに銃をぶっ放している。統率はないが、それがかえって、一人一人が自分の意思で前線にやってきて、戦闘に参加していることを物語る。多くが義勇兵だったイラン軍の士気の高さは、望まない侵略戦争に借り出されたイラク兵のそれとは比較にならないものだったろう。
2階のフロアーには、1階と同様の展示とともに、奪還作戦の作戦図とその経過が、分かりやすく展示されていた。
「イラク軍は町を占領すると、郊外の住宅を全てブルドーザーで地慣らしし、そこに地雷原を敷き、さらにその外にいくつもの要塞を築いた。我が軍はその背後に回り、手薄になった箇所から3方面に渡って攻撃を仕掛け、徐々に敵を包囲し、最後には町を解放した」
イラン人にとって、イラン・イラク戦争は、誇らかに語られる輝かしい英雄伝だ。たとえその影にどれほどの狂気や悲劇があったとしても、この戦争は紛れもなく、祖国と信仰を守るための聖戦として位置づけられている。
そして、一点の曇りもない輝かしい近代史は、この国を、完全な自己肯定、神聖視へと向かわせる。日清、日露で勝利した日本が、神国となっていったように。
受付の若い兵士は、1年半の徴兵でここに勤務している、シーラーズ出身の青年だった。栄誉あるホッラムシャフルでの勤務はどう?と聞いてみた。
「気に入ってるよ。最初はこんな田舎町いやだったけど、もう慣れたからね」
あと4ヶ月で徴兵期間が終わり、もうすぐ故郷に戻れるのだと嬉しそうに言う。歴史に囚われない、屈託のない若者が、この国の救いだと思った。(つづく)