だが、そんな村の学校で、子どもたちは英語を勉強しているのだ。いったい何のために。そういう問いが自然とわき起こってくる。
ウー・テットンによると、過去15年間で、この辺りに来た外国人は私で14人目だという。おそらく、村の子どもは誰一人として、外国人と話をする機会はまずないだろう。ここでは、役に立つ、立たないというような次元で勉強しているのではない。たぶん、学ぶという、そういう行為こそが重要なのだろう。

囲炉裏端で昔話が続く。夜も更けて夜も8時を回った頃だろう。話もとぎれとぎれになる。村人はそろそろ、自分たちの家に戻る時間だ。
だが、誰一人として立ち上がろうとしない。無言で肩を寄せ合い、じっと座っている。彼らの眼には、囲炉裏の火がぎらぎらと映っている。20人ほどの村人が、ただじっと座って、囲炉裏の榾の火をいじっている。
視線の先は、特に何を見ているというのではない。その沈黙の中で、私は背中に冷たいものを感じた。
つづく
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