二つの郡の最高峰(ルクムの"シスネ山"とロルパの"ジャルジャラ山")の頭文字をとって名づけられたこのキャンペーンは、それぞれの郡の党員の交流プログラムと言っていい。つまり、ロルパのマオイストがルクムを訪れ、ルクムのマオイストがロルパに行って、地元の党員や一般の村人と交流を深めるというものである。
ウシャはロルパで活動するジャルジャラ文化隊のメンバーとしてルクム郡を訪れた。さまざまな村を訪れて歌や踊りを披露し、集会や村人との交流会を通じて、まもなく人民戦争が始まることを人々に伝えたのである。
"ミテリ・キャンペーン"と呼ばれる第二段階のプログラムが始まる4日前、ウシャは結婚をした。相手は、同じマディチョール出身のアナンタである。ウシャは20歳、アナンタは24歳だった。
アナンタはウシャの従姉妹の息子だった。家が近いこともあり、子供のころから知っていたが、結婚をする1年半ほど前、アナンタのほうからプロポーズをされた。当時すでに、フルタイムで党活動をしていたウシャは、プロポーズをされたときにいくつか条件をだした。
一つは、党活動を優先させること。そのために子供はできるだけ少ない人数とすること。将来、2人のあいだで意見の相違があったときには、いつでも離婚をすることができること。学生リーダーとして、党員として先輩にあたるアナンタは容易にこれらの条件を受け入れた。次のページへ ...