■ 第11回 人民戦争の準備と、ウシャの結婚
1995年2月に開かれた党総会で人民戦争を開始することが正式に決定すると、ネパール共産党毛沢東主義派、すなわちマオイストは毛沢東の人民戦争戦略に則って準備を開始した。
人民戦争戦略には二つの基本がある。一つは、農村部に本拠地を築き、そこで武装勢力と党組織を拡大しながら都市部を包囲するというもの。もう一つは、武装戦略としてゲリラ戦法をとることである。
当時、"小政党"にすぎなかったマオイストは、限られた郡にしか党組織をもたなかった。1991年に開かれた民主化後初の総選挙で、マオイストの母政党である統一人民戦線ネパールが、郡に二つしかない選挙区の両方の議席を制覇したロルパ郡と、その北側に隣接するルクム郡は、全国でもマオイストが最も強い党組織をもつ郡だった。
マオイストは当初から、これらロルパとルクムの二つの郡を武装闘争の本拠地として発展させるべく、さまざまな準備を開始した。
1995年の4月には、その第一段階のプログラムとして約一月間にわたり、ロルパとルクムで"シ・ジャ・キャンペーン"を行った。
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