■ 第12回 パチャバン会議
パチャバン村はロルパ郡の北西の端にある山奥の村である。郡庁所在地リバンからは歩いて2日かかる。この村で、人民戦争を開始するにあたっての政治トレーニングが開かれたのは1995年、ビクラム暦のカティク月(10月半ばから11月半ば)のことだった。
この政治トレーニングを開くにあたって、プログラムのことを知った村人から情報がもれないよう、マオイストは細心の注意を払った。なぜなら、このトレーニングには西ネパールの20を超える郡から、党組織を率いる党員約150人が集まっただけでなく、党首プラチャンダ自身が参加していたからである。
会議場の近くにある電話通信塔に国軍である王室ネパール軍の部隊がいることも、彼らに警戒をさせた。
プログラムが開かれているあいだ、武器をもった三つのグループが会議場の周囲を3重に取り巻いて、リーダーや党員を守っていた。その一番内側のグループのなかに、ロルパの女性3人が含まれていた。
ウシャとタラ、そして"サパナ"ことギータ・ビスワカルマである。このとき16歳で、3人の女性のなかで最年少だったサパナは、ウシャと同じマディチョールの出身だった。ウシャの夫になったアナンタと家が近く、彼の"正義感"に影響を受けてマオイストになった。
アナンタやタラの夫であるソナムは、逮捕状が出たために地下に潜行したあと、ヒンドゥー教徒のなかでは最低位カーストであるダリットに属するサパナの家をシェルターの一つとして使っていた。3人の女性たちは、昼間は政治トレーニングに参加し、夜になると男たちとともに"見張り"に立った。
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