○2009年末の転機を生かせず泥沼化
2009年末、新型インフルエンザが世界的に猛威を振るう。北朝鮮でも流行の兆しが見えると、韓国政府はタミフルなど医薬品の支援を申し出る。これを北朝鮮は断らず、結果的に北朝鮮政府は李政権の支援を初めて受け入れる形となる。折しも北朝鮮は同11月末に行った「貨幣交換(デノミ措置)」の影響で、全国的な経済混乱のさなかにあった。

先に述べた通り、すでに南北関係の主導権を確立していた韓国政府としては、ようやくその政策の果実を収穫できる好機に巡り合ったといえる。前政権よりも効果的な方法、つまり韓国が主導権を持ったまま、北朝鮮の変化を促していく政策を採れる可能性ができたのだった(太陽政策の目的は援助ではなく、北朝鮮の変化であったことをもう一度想起すべきだ)。

だが、李明博政権はせっかく吹いてきた追い風をつかまえられなかった(もしくはつかまえる気が無かった)。北に対する優位な立場を背景に「介入」を強めることをせず、従来の「待機政策」をだらだらと続けていくばかりだった。すでに北朝鮮の焦りと、デノミ失敗による極度の経済難が明らかになっていたのにもかかわらず、だ。

こうしたメリハリのない政策が、今年3月の哨戒艦「天安」の撃沈事件を招いたと筆者は見ている。つまり北朝鮮は「あきらめた」のだ。李政権のあいだには、もう何も期待しない、期待できないことを前提にして政策を立てる方向に転換したのだろう。その後、韓国政府は「5.24措置」と呼ばれる政策を打ち出し、開城工団以外の南北貿易を全面的に禁止する。これにより南北の溝は決定的となる。

その後、北朝鮮で夏の大型台風による水害の発生が伝えられる。こうした中、北朝鮮は公式的にコメと重機の支援を要請、李政権は支援を行うことを決めた。同時に、米価下落に困り、余剰米をコメ支援に回すことで解消しようという農業界の要求と、従来からある北朝鮮との緊張緩和を望む世論が加わり、一時期に「雪解けムード」に向かうかとの期待が表明されもした。だが、李政権には、過去の政権のような大型援助を行う気は無く、北朝鮮も多くを期待していない現状から考えるに、これは見通しの甘いものであった。そうした流れ中で起きたのが今回の砲撃だ。

○韓国政府には「対決」以外の選択肢は消滅
では2009年末、韓国政府はどうするべきだったのか? 2009年末の段階で、北朝鮮への援助を再開すべきだったというのが筆者の考えだ。だがそれは従来のように、政府による一概的な支援(借款)を指すのではなく、韓国内はもちろん、国際的に活動する大規模開発NGOと国連を巻き込んだ形で行う、「北朝鮮住民の生活の安定」に目標を置く、これまでとは違う方法での援助・開発支援である。これができる素地は北朝鮮内部に存在していた。詳しくは次回述べる。

韓国の大統領の任期は5年であるため、李明博大統領には2年余りの時間しか残されていない。その間にこれまでとは違う政策に方向転換することは、今回の砲撃事件に衝撃を受けた韓国世論を考えた場合、大変難しい。
金正日政権が「李明博後」を念頭において行動しているのは間違いない。韓国市民に北朝鮮と対立することの恐怖を植えつけることで、2年後に迫った韓国の大統領選挙における「北朝鮮との融和派」の当選を促したいはずだ。

整理しよう。少なくとも、2009年末から2010年初頭にかけて、南北関係の主導権は、再び韓国に移る可能性があった。だが李政権は過去二年間かけて獲得した北朝鮮に対する優位性(前政権では決して獲得し得なかった)を、有効活用することができなかった。これでは李政権は無為無策と指摘されても反論の余地がないだろう。

李政権に時間はあまり残されていない。日増しに高まる緊張感の中で、北朝鮮に対して、対立軸を維持する以外に政策の選択肢がない状況に陥ってしまった。これが今回の砲撃事件で失われた一つ目のもの、つまり「北朝鮮社会への『より効果的な介入』可能性の消滅」である。(続く)(李鎮洙)

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