延坪島の住民のみならず、世界中の人々にとって文字通り「青天の霹靂」であった11月23日の北朝鮮による延坪島への砲撃。その余波はまだくすぶっており、韓米合同軍事訓練期間中の再攻撃という最悪の事態は免れたものの、予断を許さない状況が続いている。

だが、この混乱の中だからこそ書いておかなければならないことがある。それは北朝鮮社会に住む人々が、「より人間らしい暮らし」を謳歌できる未来への道筋を、砲撃の硝煙が曇らせたという認識であり、今後それをどう乗り越えていくのかという提案である。
筆者は今回の延坪島砲撃により失われるものとして、以下の三点を挙げたい。

(1)李明博(イ・ミョンバク)政権の北朝鮮政策における発展の可能性
(2)太陽政策に対する客観的かつ現実的な評価の機会
(3)北朝鮮「民衆」との共感
本文に入るにあたり、まず三点、前提にしておきたい点がある。一つ目は、今回の延坪島への「攻撃」の第一義的な、そしてほとんど全的な責任は北朝鮮にある、という点だ。休戦中とはいえ、民間人居住区域にまで無差別に砲撃した北朝鮮の行為は許されるものではない。

二つ目は北朝鮮社会の厳しい内情だ。北朝鮮では昨年末の「貨幣交換(デノミ措置)」以後、以前からの経済難に拍車がかかり、市場活動は縮小し、住民の生計に大きな打撃が出ている。2010年分の「分配」と呼ばれる協同農場で働く農場員に対する1年分の賃金・農作物の支給も、生活を支えるには程遠い量しか支給されていない。また、最優先に恩恵を与えられるはずの軍においても、栄養失調者が出ている状況だ。そんな中、金正恩(キム・ジョンウン)という次期後継者が現れたものの、北朝鮮の人々が何よりも望む「改革・開放」の可能性は全く見えてこない。

このため、韓国や中国など外部社会の豊かさを知り、同時に北朝鮮の貧しさを相対化して理解するようになった北朝鮮の住民たちの心には、金正日(キム・ジョンイル)総書記、そして次期後継者の金正恩氏に対する不満と不信が完全に根を降ろしている。

そして三つ目は、「北朝鮮は変わらなければならない」という点だ。筆者は、過去数十年にわたって続いている北朝鮮住民の苦労を前に、もはやかける言葉も見つからないというのが正直な気持ちだ。本文で「介入」という言葉を筆者は幾度か使うことになるが、これは文字通り、北朝鮮社会が、そしてそこに住む人々の生活がより人間らしくなるために、外部社会が取り得るあらゆる非暴力的な行動を指す。
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