さて肝心なのはここからである。
これらの面々は、正恩氏を支えることを使命とする新勢力である。
彼らが台頭するということは、逆に金正日時代を支えてきた重鎮、実力者たちの中から、降下、排除、退場させられる者が出るということを意味する。
今、全国の党組織、軍、警察、保衛部(情報機関)などの権力機関では、自分が浮上する、あるいは生き残る側に回るか、干される、あるいは排除、場合によっては粛清される側に回るか、幹部たちは戦々恐々の日々を送っている、と北朝鮮内部の取材パートナーたちが伝えてきている。
具体的に言うと、長老で最高実力者であった金英春(キム・ヨンチュン)人民武力部長(国防大臣に相当)、呉克烈(オ・グンニョル)国防委員会副委員長らが表舞台に出てこなくなった。
「呉克烈は『正恩後継に反対した』として粛清されたと、平壌の貿易関係者たちの間で話題になっている」と、わが取材チームのイム・チョミ通信員(30代女性、北部居住)が伝えてきている。
呉克烈氏は1931年旧満州生まれの79歳。ソ連空軍大学卒業のエリートで、総参謀長などを経て、09年に国防委員会の副委員長に就任している(国防委員会は現在「国の最高指導機関」と定められており、トップは金正日総書記)。
軍最優先の「先軍政治」の親玉のような存在で、軍直営の貿易会社をたくさん作り、軍の中国貿易利権を牛耳っていた。この貿易利権を巡っては、07年の終わりごろから張成沢氏と暗闘を続けていた。
呉克烈氏は、実質的に、金総書記に次ぐ軍のナンバー2の実力者であったが、前述した9月の党代表者会での人事では党中央委員にとどまり、政治局など中枢に名前が入らなかった。そればかりか、姿すら見えなかったのである。
このため、「呉克烈はどうしたのか?病気か?粛清か?」という声が北朝鮮ウォッチャーの間で囁かれていた。もし、排除あるいは粛清されたことが事実であるならば一大事である。排除された大物に連なる組織と配下の者たちは、ことごとく疎外されていくことを免れないからだ。
今、北朝鮮の幹部たちは皆、正恩氏への忠誠をアピールすることに血眼になり、ライバルの足を引っ張ることに余念がないという。ひどい場合は、政治事件を作り上げてライバルを葬り去ることもあるという。
「軍内部では、李英鎬派への激しい反発が起きているようだ」と韓国政府関係者は、11月に筆者に語っている。呉克烈氏にすれば、李英鎬氏は歳が11も下の後輩である。人事に納得がいかなかったり、蹴落とされてたまるかという反発があっても不思議ではない。
「内政の季節」は混乱の季節である。その矛盾を一時的に転化させるために、外部との緊張が必要になる。先の砲撃事件の背景の一つには、人事に絡む葛藤があったと、筆者はみている。
(おわり)(石丸次郎)