■ 第2回 もう一つの「抵抗の日」 (1)

大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)

ラス・メルセデスの若者たちは大農場へ入り込み、土地の返還を求める意志を表した。(2009年10月カウカ県 撮影 柴田大輔)

2009年10月12日、3万人の先住民族による行進の陰で、ナサ民族の若者40人余りが穀倉地帯に広がる大農場に入り込み、植林される松を切り倒していった。振り下ろされるマチェテ(山刀)に、彼らの思いが込められる。
カウカ県北部より広がるバジェ平原は太古、湖の底だった。その肥沃な大地にいくつもの先住民族言語が地名として残る。およそ500年前より始まるスペイン人の侵略を経た現在、その平原にはサトウキビなどを栽培する幾つもの大農場が存在する。

ナサ民族のエディムソンは、平原周縁のアンデス山脈に点在する先住民族コミュニティーのひとつ、ラス・メルセデスに暮らしている。10月12日の活動は、コミュニティーで若者達の信頼を集める彼が中心となり進められた。
私がエディムソンと出会ったのは、ラス・メルセデスの住民が、コミュニティーの一部を占める農場へ土地の返還を求め立てこもる最中だった。その土地は20世紀初頭、法知識のない当時の住民が、白人司祭により土地の譲渡契約書へ一方的にサインをさせられ奪われた。

1991年に改正されたコロンビア憲法は、先住民族領域の独立性を謳い、その保護が記される。しかし、司祭は交渉の場にすら立とうとしない。農場に立てこもる彼らと、強制的に排除しようとする警官隊の間で衝突が起きている。催涙ガス弾を発砲する警察に対し、ナサの人々は投石で対抗した。

先住民族が占拠する農場へ打ち込まれた催涙ガス弾。(2009年9月カウカ県ラス・メルセデス 撮影 柴田大輔)

後日、農場内の家に交代で暮らし見張りをするコミュニティー住民を訪ねた。農場に転がるガス弾を手に一人の男の子が、「思い切り石を投げてやったよ」と得意げに話した。

カウカでは先住民族による復権活動が活発に行われている。CRICという先住民族組織が中心となり続けられる活動で、最も重要なものがテリトリーの回復だ。人々のアイデンティティーが大地と深く結び付く先住民族社会にとって土地の回復は、尊厳を回復するためになくてはならない。

繰り返される活動には危険が伴ってきた。2005年、400人余りの先住民族がハピオという1000ヘクタールに及ぶバジェ平原の農場に立てこもる。
エディムソンたちも参加したその活動で、警官隊との衝突により先住民族に一人の死者、多数の負傷者がでた。また、催涙ガスが充満する農場で、警察に捕らえられたナサの男性が指をハサミで切り落とされる。

捕まった先住民族の男性は警官により指を切り落とされた。(2008年2月カウカ県カルドノ 撮影 柴田大輔)

 

2008年にはCRICが中心となり首都のボゴタへ500キロに及ぶ行進がなされるが、それでも一向に、先住民族の復権への政府の努力は進んでいない。
(つづく)
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(注)コロンビアはいま

国土の南北をアンデス山脈が貫く。(2008年3月コロンビア・ボヤカ県・コクイ山 撮影 柴田大輔)

全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。

南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。

5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。

コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。

1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。

また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)


【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。

【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧

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