人民戦争が始まる直前に、マオイストのプラチャンダ議長を含めたリーダーが集まって、最後の計画を立てたゴルカ郡の民家。(写真提供:「人民戦争から和平協定まで」写真展実行委員会)
人民戦争が始まる直前に、マオイストのプラチャンダ議長を含めたリーダーが集まって、最後の計画を立てたゴルカ郡の民家。(写真提供:「人民戦争から和平協定まで」写真展実行委員会)

 

アナンタはゴルカでの訓練から戻ると、ロルパ郡とルクム郡でそれぞれ1回ずつ、選ばれた党員に習ってきたことを伝授した。ロルパの中部にあるババン村で開かれた武装訓練には、戦闘隊のメンバーとしてウシャとタラも参加した。

YCLのメンバーになってから、すでに体力作りのための運動や空手、棒の使い方は習っていたが、ババン村のこの訓練でウシャらは初めて、バルワ・バンドゥクやピストルの使い方や爆弾の作り方を教わったのである。

ロルパ北部の村々で大勢の逮捕者と負傷者をだした"ロメオ・オペレーション"も終わり、年は明けて1996年になっていた。
完全に地下に潜行していたアナンタと異なり、ウシャはこのころ、まだマディチョールにある自宅を離れていなかった。日中は家でおとなしく過ごし、夜暗くなると、党の活動をする"半地下生活"を送っていた。

戦闘隊のメンバーとしての活動の一つは、村の家々から自家製銃のバルワ・バンドゥクを集めることだった。ババン村での武装訓練のあと、ウシャたちは党組織のリーダーからまもなく人民戦争が始まると聞いていた。
党から知らせが来たら、家を離れることになっていた。その"時"は、まもなくやってきた。
(つづく)

【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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