(はじめに)
南米、コロンビアの「先住民族」を2006年より取材してきたフォトジャーナリスト、柴田大輔氏から寄稿された写真ルポ、『コロンビア 復権を求めて立ち上がる「先住民族」』を13回にわたって連載します。
日本ではあまり伝えられることのない、南米に生きる「先住民族」と呼ばれる人びと。
かれらが、差別と紛争の絶えない状況の中でも日常を逞しく生き、植民地化の歴史のなかで奪われてきた権利の回復を求めて闘い続けている姿をお伝えします。
(編集部)
【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。
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■ 第1回 立ち上がる先住民族
大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
1492年10月12日、スペインを出港したコロンブスが、長い航海の末、カリブ海に浮かぶバハマ諸島に到達した。「新大陸発見の日」と名付けられたその日以来、アメリカ大陸各地に暮らす人々の生活が激変する。
ヨーロッパ人による侵略から、多くの民族が滅された。生き残った人々も、それまで暮らしてきた豊かな土地とともに人間としての尊厳を奪われていく。植民地化の過程で「先住民族」と呼ばれるようになった人々は今、10月12日を「先住民族抵抗の日」と呼ぶ。
2009年10月12日、コロンビア南部カウカ県のアンデス、太平洋岸に暮らす先住民族3万人が、大都市カリを目指し行進する。11日にカウカ県北部をスタートし、およそ100キロの道のりを3日間かけ歩いて行く。私は、2日目の夜から行進の列に加わった。
その長い列の中には民族衣装に身を包む者、歩きながら編み物をする女性、笛や太鼓を演奏する老人や若者、それに合わせて歌い踊る人々など様々姿を目にする。
この日のために各地の先住民族コミュニティー間で調整が行われてきた。この期間は学校も休みになり、大勢の子どもたちも、大人に混ざり声を上げる。山で生活を送る彼らの足取りは力強く、どんどん前へと進んでいく。照りつける太陽の光もエネルギーへと変えていくかのようだ。
土地とともに失ってきた文化や歴史、現在も続く紛争、麻薬社会に取り込まれ暴力に巻き込まれる日常、更に、新自由主義経済、多国籍企業による開発という大きな波が押し寄せる。急速な世界の変化は、先住民族社会をも揺さぶっている。
「先住民族」というアイデンティティーのもとに集まる彼らは、「Liberacion a la Madre Tierra(母なる大地の開放)」を掲げ行動する。人々が掲げ、身にまとう緑と赤に二分された旗は、すべての生命を生み出す大地と、そこで流され続けてきた血を意味する。二色に彩られる旗が、彼らの500年余りの年月を象徴する。
13日、大都市カリを行進する先住民族を、カリの人々の歓声が包む。14日には、カリに到着した彼らのもとへ、コロンビア北部チョコ県から5日間をかけ行進してきたアフロ・コロンビア人(アフリカ系コロンビア人)と先住民族が合流する。チョコ県も現在、深刻な人権侵害が起きている地域だ。人種を超え、抑えられてきた人々の声がこだまする。
(つづく)
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(注)コロンビアはいま
全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。
南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。
5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。
コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。
1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)