仲間へ語りかけるリーダーのエディムソン。(2009年10月カウカ県 撮影 柴田大輔)

 

■ 第3回 もう一つの「抵抗の日」 (2)

ラス・メルセデスの若者たちは、何をすべきか考えていた。2005年の活動で多くの仲間が傷つき、死者まで出た。それを忘れるわけにはいかない。組織的に行われる行進とは別に、再び農場ハピオへ入り込むことで、自分たちの存在を世の中に伝えたい。
コミュニティーは行進へ参加する方針をとるが、エディムソンを中心とした若者たちは独自に活動計画を進めていく。当初の計画では、行進への参加者を巻き込み人数を増やし、行進スタートと同時に農場へ侵入する予定だった。しかし、彼らのもとに応援が来ることはなかった。
先頭に立つエディムソンは、少人数での活動に不安を持っていた。女性や子どもを含む参加者を無事に帰さなければならない。活動を大きくすることで注目を集めることができ、警察、軍、農場主らの妨害から身を守ることが出来ると彼は考えた。少人数では死者が出たとしても、事件が表に出にくい。
10月12日、36人による小さな列が、静かに農場へと足を進める。低い雲の下、農場に立ち並ぶ松の木々を冷たい風が揺らしている。
武装組織との対峙を想定する彼らは、団結を象徴するバストン(杖)と投石用のパチンコを握りしめる。足元の長靴と腰に携えるマチェテ(山刀)は、農作業に向かう彼らの日常の姿だ。彼らの行動は日常と切り離されたものではない。
込み上げる恐怖と興奮を押し殺すように、人々はマチェテを振り上げ、目の前の松に黙々と向かっていく。

農場へ侵入した若者たちは、農場主によって植林された松を次々と切り倒していった。(2009年10月カウカ県 撮影 柴田大輔)

 

2,3時間がたっただろうか、エディムソンは皆に引き揚げを促した。しかし、次第に勢いを増す人々は、その手を止めようとはしない。「終わりだ!引き揚げるぞ!」エディムソンの声が響く。人々の間に釈然としない空気が漂う。エディムソンは踵を返し農場を去ろうとする。そのあとを1人、2人と追っていく。
誰もいなくなった農場は何事もなかったように佇んでいた。あまりにも広いその空間の、倒れた松の木々が見える一角だけが、かろうじて人々が放った熱の余韻を残しているかのようだ。
農場を出たエディムソンは「これでいいんだ」と話す。その言葉は、自分自身にも向けられているようだった。
(つづく)

大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注)コロンビアはいま

国土の南北をアンデス山脈が貫く。(2008年3月コロンビア・ボヤカ県・コクイ山 撮影 柴田大輔)

全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。

南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。
5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。

コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。

1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。

1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)


【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。

【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧

★新着記事