■ 第4回 もう一つの「抵抗の日」 (3)
時計はもうすぐ正午を指そうとしている。落ち着いてくると不思議と腹が減ってきた。
持ち寄った残りの食材を使って食事を作る。エディムソンが「今日はよくやったと思う。行進にも負けない活動ができた。」と皆に話しかける。いつの間にか皆が、いつもの穏やかで陽気な顔に戻っていた。
昼食後、私は行進へ向かい、エディムソンは家族が待つコミュニティーに帰って行った。警察も応援も来なかった。彼らの抵抗の日はひっそりと終わろうとしていた。
私はバイクに乗せてもらい行進へ向かう。三人乗りのバイクは一向にスピードが出ない。いつのまにか晴れ渡る空から太陽が照りつける。途中何度か道を誤りながら、その日の行進を終えた人々が集まる公園にたどり着いた。
あちこちに張り巡らせたテントの傍で、コミュニティーごとに夕飯の準備が進められている。今日、農場で松を切り倒していた人がいる事を、この場の何人が知っているのだろう。農場にいたことが、ずいぶん前のことのように感じられた。私の頭には、数時間前の興奮の残骸が漂っていた。
サトウキビの葉で葺かれた屋根を持つ伝統的な家で、エディムソンは奥さん、3人の息子と質素に暮らしている。初めて彼の自宅を訪ねたときに聞いた話がある。それはナサの死についての話だ。
「ナサにとって死は悲しいことではなかった。旅立つ人はもう苦しまなくていいだろ。死者を送りだすとき大勢が集まって酒を飲みご馳走を食べる。そして朝まで歌い踊った。みんなで笑って送り出すんだ。遺体は畑や庭に埋め、いつも家族の近くにいる。でも今はカトリックが入ってきて、そんな習慣も忘れられていく。死がとても悲しいものになってしまった。だけど、おれが死んだら楽しく送ってもらいたいな。おばあちゃんの時はオレも泣いちゃったけどね。」
なぜかこの話が心を離れない。彼の人柄、私が出会ってきたナサの人たちの温かな雰囲気がよく現れていると感じた。忘れられていく習慣とはいえ、この感覚は彼らの中に今も流れている様に思った。こんなに愛情をこめて自分たちの事を伝えようとするその様子が、なんだか羨ましく思えた。
このような自身への思いを、皆が自然に持っているのではないか。子どもまでもが危険を承知で立ち上がった農場での活動は何だったのか、その答えがエディムソンの言葉にあるように思えた。
彼らには守りたいものがある。それが思いの詰まった故郷なのではないか。その故郷で生きる姿こそが、彼らが彼らとして生きるということなのではないのだろうか。
その後、彼らのもとに政府から一通の手紙が届く。それは、コミュニティーを含む周辺一体に走る鉱脈を開発したいという内容だった。彼らはそれを拒否する。しかし、後にパラミリタール(非合法民兵組織)から脅迫が届く。
開発は未だ進んではいない。エディムソンたちの身にも危害は加えられてはいないが、手紙と脅迫が無関係と考えることは不自然だろう。
彼らはいつまで戦わなければならないのか。
(つづく)
大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
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(注)コロンビアはいま
全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。
南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。
5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。
コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。
1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)
【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。
【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧