この翌日は、コミュニティーの土地を奪った農場に対して、土地の返還を求める活動が予定されていた。その前日に起きたこの暴力に、山々に囲まれた小さな村は騒然となった。
この日、地域を取材するコロンビア人ジャーナリストと、人権団体から弁護士一人が翌日の活動に同行するため、村に居合わせていた。村の代表と彼らが中心となり住民が警察たちを囲み、深夜に渡り抗議が続けられた。私たちが到着したときはその時だった。
コロンビア人ジャーナリストのフェリペさんは「拳銃の所持は本当ではない」と考えていた。抗議活動前日に起きたこの事件を、先住民族に対する圧力だと話す。
事実、このように先住民族に限らず、権力に立ち向かおうとする人々が暴力の犠牲になる例が多々あるという。
そして、警察は被害者をゲリラと結びつけ暴力を正当化する。また、この地域一帯はコーヒーの大産地であり、大土地所有者の力が強い地域だという。
この時は、住民以外に外部の人間がいたことにより、警察はそのまま去ることができなくなった。警察上層部との話し合いを求める住民と警察との話し合いは、平行線のまま一旦、深夜0時を回ったところで終わりとなった。
翌早朝、広場にはコミュニティー自警団(guardia indigena)の数人がいた。昨夜立ち会っていた大勢の人々は、もう休んでいる様だ。何人かの眠ることができなかった人々が、そこで他愛のない話をしていた。静かな朝だった。
その時だ。突如、広場の入り口に、武装した黒い一団が押し寄せてくる。状況が飲み込めないまま、広場にいた人々は力ずくでその場を押しやられた。それは警察特殊部隊だ。彼らは、広場に止まっていた警察車両を囲み、住民と対峙する。銃口をこちらに向けている。
防具越しに彼らの顔を見ることができた。相手も興奮しているのか、顔を覆う防具が息で曇っていた。「我々が何をしたというんだ。」猛烈な怒号が響く。住民が声を上げ、石を投げつける。その住民に対して、体当たりをするように盾をぶつけてくる。向けられる銃口が、人々を脅している。しかし、ひるむことなく立ち向かう人々は怒りに震えている。
突如、辺りに赤い煙が立ち込める。催涙ガスだ。息をすることができない。特殊部隊は昨日からここにいる警察部隊と車両を囲み、ガス弾を発砲しながらコミュニティーを去ろうとする。ガスにむせぶ人々。ガス弾は人間に対しても発砲された。被弾し傷つく人がでる。
今までに経験したことのないこの暴力に、混乱し泣き叫ぶ子どもたちが目に入る。地域の先頭に立つ女性は、「あいつらはこうしていつも私たちの思いを踏みつぶす」と身体を震わせ、こらえきれない涙を流した。
この日のために集められた一人ひとりの願いを、暴力が握り潰した。
警察は去っていった。怒り、悲しみ、悔しさ、そんな言葉にすることも出来ない感情が残った。
しかし、人々はすぐさま次の行動を起こす。この日の出来事を、インターネットを使い発信する。「お前の写真をくれ」コミュニティーの男性は力強く私に訴えた。全ての写真を彼らのパソコンに提供した。
立ち上がり続ける人間と暴力を振るう人間。強さとは何なのか。希望を持ち続ける人間の姿を目の当たりにした。
(つづく)
大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注)コロンビアはいま
全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。
南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。
5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。
コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。
1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)
【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。
【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧