※お断り ミャンマー(ビルマ)入国取材の安全を期して、宇田有三氏は「大場玲次」のペーネームを使用していましたが、民主化の進展に伴い危険がなくなりましたので、APN内の記事の署名を「宇田有三」に統一します。
軍政は2008年5月10日、14万人にも達する死者・行方不明者を出したサイクロン「ナルギス」の直後、国際的な呼びかけを無視して、新憲法の是非を問う国民投票を強行した。サイクロン被害者の救援を後回しにした、非人道的な行為であった。
その新憲法の中身自体、軍事政権の権力維持だけを謳ったもので、まったくの茶番だとされている。一説によると、タンシュエ議長は将来的に軍服を脱ぎ、民間団体であるUSDAのトップに就任し、民間人として新しい大統領の座に就こうとしているという。74歳という高齢のタンシュエ議長は、新憲法下での新しい社会体制の下、自らが初代の大統領に就こうという野望を持っているそうだ。
しかしながら、タフンダン村に住むチベットの村の人にとっては、これらの政治的な動きは、あくまでも平地に住むビルマ社会や「多数派の少数民族」 社会の動きであった。だが、時代の変遷はこれまでの生活を許してくれないようだ。
90年代の初め、ビルマ仏教が村にやってきた。関わらなければやり過ごせた。だが、次はビルマ人の団体だ。彼らが話し合っている言葉は分からないが、なにやら重苦しい空気が流れる。
いよいよこの土地にまで、ビルマの政治体制がヒタヒタと山を登って押し寄せてくるのだ。わずか13世帯が居住するチベットの村へ、大挙80人のビルマ人とラワン人が押し寄せてくるのだ。そんなことは、かつてこの村でなかったことだ。彼らをどうやって迎え入れればいいのか。村の責任者が困惑するのも無理もない。私自身が、悪いニュースを持ち込んだようで、申し訳なく思ってしまう。
家を出ると、顔役氏の息子が赤ん坊をおんぶしている。その「ねんねこ」を背負っている男の子は、ほんとチベット人の顔つきだ。また、家の裏側の小川では女性がひとり、前かがみになって、両手を忙しそうに動かしながら洗濯をしている。その小川にはやっぱり発電機が据えられていた。
川の向こうには、村で唯一の学校の校舎が見える。運悪く、今日は休みで、授業の様子を見学できない。もちろん学校では、ビルマ語を中心にして授業が進むという。だが、子どもたちはこの村で、ビルマ社会やチベット社会、その間にある中国社会ともうまくやっていくために、ビルマ語・カチン語(ジンポー語)・リス語・チベット語・中国語という複数言語を、村人と生活を共にしながら自然と覚えていくという。
つづく
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