次の日の夜、隣にあるババン村の警察詰め所を襲撃する計画だったが、ホレリ襲撃のあとに警察の追加部隊が来たために、襲撃を中止した。戦闘隊のメンバーはここから、それぞれが活動する地域へと戻っていった。ウシャはこの後、マディチョールの実家へと戻ることはなく、地下に潜行して活動する日が始まった。

ロルパで、6歳の娘と6ヶ月の息子とともに。内戦中、東ネパールで活動していたウシャは、2人の子供を実家の母親に預けて、ほとんど会わなかった。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)
ロルパで、6歳の娘と6ヶ月の息子とともに。内戦中、東ネパールで活動していたウシャは、2人の子供を実家の母親に預けて、ほとんど会わなかった。(写真提供:オンサリ・ガルティ・マガール)

 

人民戦争が終結するまでの10年の間に、ウシャは娘1人と息子1人の2人の子供の母親となった。タラはホレリ襲撃のあと、夫のソナムとともに"マオイストの首都"タバン村に行き、しばらくのあいだこの村を拠点に活動をした。

3年後、タラも地下に潜行しているあいだに娘を産んだ。他の女性マオイストと同様に、2人は母親となっても、子供が2歳になる前に手放し、子供たちとは離れ離れの生活を余儀なくされた。その話は別の章で記したい。
(つづく)

【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像

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