ラシュミの父が殺害されてから5ヵ月後、クランティとラシュミは結婚した。
クランティが息子を産んだのはその6年後のことである。臨月のお腹を抱えて大規模襲撃に参加し、インド国境まで歩いて出産したクランティの経験は、マオイストの女性のあいだでは決してめずらしいものではなかった。
1996年2月13日夜、マオイストは4つの郡で同時に襲撃を決行して人民戦争を開始した。
西ネパールではロルパとルクムの警察詰め所を襲撃したが、東ネパールではシンドゥリで警察詰め所を、中部ネパールのゴルカでは農業開発銀行の支所を襲っている。
その2日後、当時ネパールで唯一の民間日刊紙『カンティプル』はこれら4つの郡で起こったことを一面トップで報道した。しかし、襲撃を実行したグループが誰であるかを特定することはできなかった。
彼らがネパール共産党毛沢東主義派こと、「マオイスト」であることがわかったのは、2月17日、党首プラチャンダが4つの郡での襲撃の犯行声明を出したあとのことだった。
(つづく)
【連載】 ネパール マオイスト・女性ゲリラたちの肖像
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