◆ 第10回 エクアドルに暮らすコロンビア難民 (2)
私が初めて出会ったとき彼は、エクアドルに来て5年がたっていた。二男と奥さん、従業員を1人雇い、生活は順調にいっていた。当時の彼は、マチャチに暮らしながら月に1,2度難民の仲間たちがいるリタへ通っていた。
町に暮らし、仲間たち全体を見ながら援助団体などの窓口として働いていた。仲間からリーダーとして慕われていたが、都市で生活してきた彼との間には、一定の距離があったように思う。
2009年に彼を再訪した。彼は工房を息子に預け、リタに土地を借りて単身で暮らし始めていた。何故リタに来たのか聞くと、「もっと仲間たちの近くにいなければ」との思いからだった。
リタには120人余りの同郷の難民が暮らしている。彼らのほとんどは、低賃金で、農場での日雇い労働で生計を立てている。先の見えない暮らしから、ここを離れていく人がいるという。
このままでは今の生活を変えることは出来ない。ルイスさんはまず経済的な自立を考えた。
「1人ではエクアドルの社会に埋もれてしまう。だからこそバラバラになるわけにはいかない」と彼は話す。そして、将来を変えるためには組織を作らなければと思い至る。
仕事がないのはどこも変わらず、ましてコロンビアに戻っても元の生活は望めない。彼の頭には、グループで収入を得る仕組みを作り、皆で暮らせるコミュニティーをエクアドルに作るという夢がある。日々の暮らしに追われる仲間たちに、将来を見据えた行動を説く。それは彼の父親と自分を重ねている様に思えた。
彼は15歳で故郷を離れ、都市で職人として生きてきた。コミュニティーという人間同士の距離が近い世界とは対象的な環境だ。個人で生きてきた彼は、組織の中でどのようにふるまっていいのか悩んでいる。
仲間との距離を縮めようとすればするほど、根本にある価値観、生活観の違いに戸惑う。また、すぐに利益の出ない活動に、理解を示さない人もいる中で、孤独を感じているようだった。
しかし、仲間たちの間で試行錯誤する中、彼はかつて恥でしかなかった先住民族というアイデンティティーに向き合おうとしていた。難民グループの先頭に立って働く中で、自分たちが本来どの様な生活をしてきたのかを理解していった。
彼は仲間たちを指し「山しか知らない」と言った。初め、否定的とも取れたその言葉だが、山での生活こそが、彼らにとっての本来の生き方なのだと気付く。その生き方と「先住民族」とが彼の中で少しずつ結ばれていく。
2010年6月、彼のもとを訪ねた。難民グループが発足させた組織は、NGOの援助を受けて養鶏のプロジェクトを始めようとしていた。専門家を招いて勉強を繰り返す彼らの姿に希望を感じた。小さなプロジェクトだが、次へつなげる資金を作りたいと話す。
彼らを見続けている教会組織の女性は難民グループを指し「特異な例だ」と話す。それは、多くの難民は個人でエクアドルへと渡り、都市に生活の場を求める。その後の生活で問題となるのが、孤独だという。地縁で繋がるルイスさんたちはその点が大きく違うという。
「先住民族」ということが、逆境の中でプラスに働こうとしている。将来のために、新しい故郷を生もうと、彼らの努力が続けられる。
(つづく)
大きな地図で見るコロンビア・エクアドル地図(Googleマップより)
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(注)コロンビアはいま
全国コロンビア先住民族組織(ONIC)の調査によると、コロンビアには102の先住民族集団が暮らしているといわれる。その人種、人々が暮らす風土の多様性は伝えられる事が少ない。
南米大陸の北西に位置するコロンビアは、日本の約3倍の国土に、コロンビア国家統計局2005年国勢調査によれば、4288万8592人が暮らしている。先住民族人口は全体の3.4パーセント、135万2625人だ。
南米大陸を縦断するアンデス山脈がコロンビアで3本に分かれる。人口の大部分がこのアンデス山脈に集中する。首都ボゴタは東アンデス山脈の標高2640メートルの盆地に位置する。
5つに大別される国土は、熱帯の太平洋岸、青い海とともに砂漠を見るカリブ海岸、万年雪をたたえるアンデス山脈、熱帯雨林のアマゾン地方、リャノ平原が広がるオリノコ地方、まさに地球の縮図のようだ。そして各地には、草花とともに多様な自然に適応した生活を築く民族が暮らす。
コロンビアでは建国以来、紛争が繰り返されてきた。19世紀に、中央集権主義者(保守党)と連邦主義者(自由党)の対立を内包しながらスペインから独立すると、その対立は次第に激化し、1889年から1902年にかけて10万人の死者を出す千日戦争へと続いていく。
1946年より始まる暴力の時代(la violencia)では、両党の対立により全国で20万人以上の死者が出たといわれる。キューバ革命の影響を受け、1960年代に農村で左翼ゲリラが形成される。
現在も続く紛争は、60年代に形成されたコロンビア革命軍(FARC)と国民解放軍(ELN)、80年代に大土地所有者ら寡頭勢力がゲリラから自衛のために組織した右派民兵組織(パラミリタール)、政府軍が複雑に絡み合う。
1990年代に入ると、武装組織が麻薬を資金源とするようになり、生産地となる農村が武装組織の間に立たされることになっていく。
また、1999年に当時のパストラーナ政権により、国内復興開発を目的に策定されたプラン・コロンビアは、実質的には麻薬・ゲリラ撲滅を推進し、米国より多額の援助を受け現在も引き継がれている。
こうした紛争、暴力により、日本UNHCR協会ニュースレター「with you」2007年第1号のデータでは、300万人以上ともいわれる国内避難民、50万の難民を出し、先住民族社会もその影響を受け続けている。
(柴田大輔)
【柴田大輔 プロフィール】
フォトジャーナリスト、フリーランスとして活動。 1980年茨城県出身。
中南米を旅し、2006年よりコロンビア南部に暮らす先住民族の取材を始める。
現在は、コロンビア、エクアドル、ペルーで、先住民族や難民となった人々の日常・社会活動を取材し続ける。
【連載】コロンビア 先住民族(全13回)一覧